私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

声の低い女の子

ソフトクリームと熱いお茶の組み合わせが好きなんですけれど歳なのかなあ。ソフトクリームだけだと歯にしみるのです。

 お茶は冷たくても熱くても美味しいのだけれども、冷たくても美味しいのは卑怯な感じがしますね。熱いお味噌汁は美味しいのに冷めるとまずい。コーラは冷たいと美味しいのに熱するとまずい。

 タイトルの話ですが、女の子は少し声が低いくらいがしっくりくる気がします。

 それだけ。

小クリ「車輪」

 就職活動をしないまま大学を卒業した友人が山にこもって自給自足の生活をしているというので、彼に会いに山に向かった。彼の母親から、彼を家に戻るよう説得してくれと泣き付かれたのだ。

 友人は突然の訪問を喜んで迎えてくれた。ボロを纏い、髭も髪も伸び放題で、少し痩せたように見えた。その身なりを心配して、「ちゃんと食べているのか?」と彼に聞いた。すると彼は唇を舐めて濡らし、たどたどしく、けれど勢いよく喋り始めた。

「ちゃんと食べてるかって? ああ、食べてるさ。山には食べ物がいっぱいだからな。山菜やキノコは学生時代も食ってたから見分けがつくし、芋虫って意外と美味しいんだぜ? 最近は仕掛けた罠に小動物なんかもかかるようになったし、ああそうだ、お前はタイミングが良い。今日はタヌキがかかったんだ。一緒に食べようぜ」

 学生の頃よりも饒舌なしゃべりに、彼は人恋しいのだと知れた。ならば何故こんな生活を送っている。大学の入学式で最初に出会った時の彼は、こんなではなかった。髭はなく、顔つきは精悍としていて、物静かで大人びていた。その彼が何故。何故なのだ。

「タヌキは食わん。お前の母親から食料をあずかっている。今日はこれを食え」

 そう言ってカップ麺やら米やらレトルトカレーが入った袋を差し出すと、友人は押し黙って目の色を変えた。物欲しそうな目で、食い入るように食料品を見ていた。しかし堪えるようにギュッと目をつぶると静かに首を振った。

「駄目だ。それを食べたら帰りたくなってしまう」

「帰ればいい。何故こんな生活を送る必要がある。虫や獣を食べ、野に暮らすくらいなら、社会に出て、働いて暮らす方がずっと楽だろう」

「俺は分からない」

「何がだ。何が分からないんだ」

「社会に出る理由が分からない。社会の歯車って言葉があるだろう。なんで歯車なのだ。あんなギザギザの歯を付けて他の歯車と噛みあうなんてさ、おかしいじゃないか。ただの丸い車輪でも前に転がり進んで行けるのに、わざわざ歯車になって噛みあわなくてもいいじゃないか」

 それだけ言って、彼は口を閉ざす。

 なんだか僕は友人がとても哀れに思えてきて、今日の説得は諦めることにした。彼がつくったタヌキ鍋を食べ、僕は街に帰った。

制空権

 三色パンとか三色ボールペンと言う物の仕組みがわからないんだ。三色パンはどうやってジャムだとかクリームだとか三種類の味をパンに注いでいるんだ。三色ボールペンはバネの位置が分からない。

 物の仕組みは分解すれば分かるものと思っていたが、三色パンを分解しても腹に収まるだけだし、三色ボールペンは元に戻せなくなる。物に凝らされた工夫と言うのは目に映る物だけでなくて、制作過程で加えられた技巧の後は見えないのだ。それが不思議な仕組みをつくりだす。

 ああ、今日も元に戻らなくなった三色ボールペンのバネが空にぴょんと跳んでいく。

流れ星の話

 私がこの前卒業した大学は、大学以外には何もなかった。

 大学生の生活はおよそ大学と大学の周辺の環境によって決定されるが、あの大学には周辺の環境というものが「何もない」の一言で言い表せたのである。足を延ばしても遊び場はない。海も見えない。夜道には街灯もない。

 こんな環境で送る大学生活は、寂しさと寂しさを忘れるための集いでつくられた。夜ごとに開かれる目的のない集会。酒を酌み交わして全部忘れた。だけどふと我に返ると、なんだかとっても虚しかった。

 そういう日々を続けていた大学生の私は、ある夜の空に星がすっと流れるのを見た。流れ星を見るのは初めてだった。私は流れ星が消えてしまった後も、ぼうっと夜空を見上げていた。しばらくして我に返る。

「そうか。ここには何もないが、星空だけはあったんだ!」

 インターネットで調べたら、年に数回流星群という現象が見られるらしい。あの流れ星がじゃんじゃか流れるらしい。興奮した私は時期を待って、夜の街に出た。期待通りに流れ星は流れた。

 なんということだ!

 私は大学生になるまで一度だって流れ星を見たことがなかった。なのに私は一晩のうちにいくつもの流れ星を体験している!

 

 大学生活を送る上で、流れ星は30個は見れたと思う。もう、一生分見たなと思った。一生分の流れ星を見た大学生活だ。笑ってしまう。流れ星を見て得られたことなんて「願い事をしても叶わない」ということだけだった。

「流れ星が叶えてくれないなら自分で叶えるしかないな。ああ、まったく仕方ない」

 本当に仕方なかったんだ。私は大学を卒業したよ。

大学を卒業しました

 なんだか違いますね。大学のある地と地元では。桜の咲き具合が全く違う。

 桜が咲いているのは結構なことで、青空にの下の花びらも、雨に濡れた花びらも、街灯に照らされた花びらも、どれも綺麗な色をしています。こういう花を入学式だとか入社式みたいな時に見られれば、心機一転という気分にもなりましょうな。でも卒業式に咲かれたらそうはならない。

 5年も住んでいた土地を離れることになりました。ちょうど郷土愛が芽生え始める時期に去るなんて心の弱いところを殴られるようなもの。早まった桜の開花がそれに追い打ちをかけてきやがります。泣きっ面に桜ですね。なぜ今咲いた。あったかいからだ。

 あったかくなると良いねえ。なんだか嬉しいよ。薄着に慣れるから体が軽いぜ。やったね。ひゃっほーって叫んで跳びはねたくなるね。

 

大学生でいられるのもあと一日なので小説を書きました。

 座敷わらしは古本屋にいました。

 なぜ古本屋にいたかと言いますと、前に住み着いていたおにぎり屋さんにいずらくなって脇目も振らずに飛び出したところ、気づくと古本屋にいたのです。座敷わらしがおにぎり屋さんを飛び出したのは、店主が欲を隠そうとしなくなり醜悪に思えたからです。座敷わらしの居ついたお店は例外なく商売繁盛となりました。そうして幸せそうに喜ぶ店員の様子を見るのが座敷わらしの幸福の一つでした。けれどもなぜでしょう。人は少し豊かになるとどうしてかさらなる富を求めます。お店が繁盛したあと、店主はみな野心を見せ始めます。札束で他人の頬を叩いてのし上がっていく店主の醜さは筆舌に尽くしがたいものです。それで座敷わらしは嫌になってお店を飛び出してしまうのです。座敷わらしが出て行ったお店はたいてい運気を失ってつぶれてしまいます。おにぎり屋さんは脱税がばれて廃業になりました。

 そんな風に人の栄枯盛衰を何度も見てきた座敷わらしは人間を侮るようになりました。人が幸せを得ていく様子に喜びを感じる一方で、住み着いた人が醜悪さを見せ始めると「やっぱりにんげんってダメなのね」と言って、人間に対して優越感を抱くというゆがんだ二面性を持ったのです。座敷わらしが古本屋を訪れた今回も、古本屋の店主はきっと同じ結末をたどるのだろうなと思いました。

 さて、この古本屋は若い店主の城でした。本の城です。本が好きな店主は積み上げた書籍の塔に囲まれて、閑古鳥が鳴くのも気にせず昼夜読みふけっていました。寂れた古本屋はさっぱり儲かりませんでしたが、店主には学生時代にアルバイトで貯めた貯金がありましたし、本を読んでいれば食事をとるのも忘れてしまうので食費もかかりませんでした。このまま細々と本と一緒に生きていく心づもりだったのです。

 座敷わらしが古本屋にやってきた日、店主は何となく何者かが店にやってきたなと感じとりました。ですが本を読む方が重要だったので放っておくことにしました。お店の中はページをめくる音、座敷わらしがどたどたと走り回る音、時折店主がコーヒーをすする音しかしません。

 座敷わらしは店主の背中に寄ってきました。店主が何をしているのか気になって、背中越しに店主が持っているものを見ました。もちろんそれは本でした。文章を目にした座敷わらしは、得意げにページに書かれている文字を読み上げます。

「じょ、ば、ん、に。ら、つ、こ、の。う、わ、ぎ、が。く、る、よ!」

 店主は舌打ちをしました。ここで初めて本から意識を外して座敷わらしに興味を向けたのです。彼は、

「どうして子供というものは必ず文章を声に出して読むんだ。しかも一文字ずつ区切って言うからたちが悪い。読むペースがくるってしまうじゃないか。おかげでひどく気が散ってしまった」

と思いました。

 店主はちょっと考え、本の山をかき分けて古ぼけたラジカセをひっぱりだしました。ラジカセにセットしっぱなしだったCDを再生するとロックンロールが流れ出します。座敷わらしはロックの曲調に興味を惹かれました。そして音楽に合わせてハミングしたのです。読んでる本の文章を読み上げられるよりはだいぶマシになりました。店主はやれやれどうにかなったぞと再び読書に戻ろうとしました。けれどそこへ珍しくお店のドアが開き、お客さんが入ってきました。店主は本に栞をはさんで閉じ、むっすりしながら営業スマイルをつくりました。

 翌日、古本屋はたくさんのお客さんであふれかえっていました。以前とは一変したお店の繁盛っぷりに店主はてんやわんやです。座敷わらしはラジカセから流れるロックンロールに耳を傾けながらその様子をほくそえんで見ていました。店主はきっとお店の繁盛に喜ぶだろう、そして儲けた金に目がくらみ、例の醜い欲をさらけ出すのだろうと思いました。

 けれど店主はずっと不機嫌な顔をしていました。千客万来に、朝から本を読む暇がないからです。それだけではありません。店主が今度読もうと思っていた本を、客がどんどん買っていくからです。3巻まで読み進めていたシリーズものの小説の最終巻だけ客に買われたときは泣きそうになりました。いや、怒ったのです。店主は悲しみなんかよりも怒り心頭でした。愛する本がどんどんなくなっていく状況に耐えかねた店主はついに接客スマイルをかなぐり捨て、客たちを怒鳴りつけました。

「ここは俺の城だ! お前らに売る本はねえ! 出ていけ! 本を置いて出ていけ!」

 店主の剣幕に気圧されて、客は続々店を去っていきました。けれど時すでに遅く、めぼしい本たちはみな買い去られてます。店主は店内の惨状にがっくりと膝をつきました。

 今までに見たことのない展開に、座敷わらしも呆然としていました。まさか自分の住み着いた店の店主が幸せになることなく不幸になるなんて思わなかったのです。座敷わらしは根はまじめでしたから、一度幸せを味わってから地獄に落ちるならまだしも、良い思いを一切することなく店主を不幸にしてしまったことに責任を感じました。申し訳なさと店主の惨めさにいたたまれなくなった座敷わらしは、古本屋を飛び出しました。

 これは敗走だと座敷わらしは感じました。人間に対する、初めての敗北です。人間に対する優越感が崩れ、座敷わらしの幼いプライドに傷がついたのです。

 座敷わらしがいなくなると古本屋は平穏を取り戻しました。大繁盛が一夜の夢のように消え失せ、店主だけの城が戻ってきます。けれど城壁はボロボロでした。読む本をなくした店主は魂の抜けたように椅子へ座りこみます。本がなければ店主にするべきことはありません。ぼんやりと古いラジカセからロックンロールが流れてくるのに耳を傾けていました。

 他にすることもないので、店主は座敷わらしのことを考えました。そういえば座敷わらしは、文章を読むときに一字ずつ区切って言葉を発していました。けれどもロックンロールにハミングしていたときは、ハミングにそういった区切れはなかったなあ、と不思議に思ったのです。同じ口から音を出す動作には変わりないのに、文章と音楽でどうして違うのでしょう。店主は考え込みます。文章は目で見るものなのに対して音楽は耳で聴くものだからなのか。記憶を探ってみると、子供が文章を一字ずつ区切って読むのは子供の未熟さゆえに熟語を認識する能力が足りていないからだ、という話を何かの本で読んだことがあります。なら音楽のメロディは熟語という形で認識する必要がないってことでしょうか。そもそも音楽ってドレミファソラシの一音ずつに判別して区切るのはたいそう難しいことだ、と店主は気づきました。

 同時に、古本屋の店主は、自分が本に書いてあったこと以外の事柄について深く考えていることに気づきました。店主は少しおかしみを覚えます。彼はたまには本以外のことも良いかもしれないと考え、少し幸せを感じました。

 翌日、古本屋は火事で全焼し、灰になりました。座敷わらしが運気を引き上げていったためです。古本屋の店主は焼け跡に立ち「焚書坑儒なんて時代錯誤だ!」とわけのわからないことをわめきました。

 こうして彼は本と決別した人生を歩みだしました。

 

Fin.

大学の時に書いた書きかけの文章はあと20片くらいはあるんだ。でもここらでやめとく。

 片田舎の民家の庭の片隅に水が入ったまま放置されたバケツへ産み付けられたボウフラたち。彼らは本能的に自分の将来を知っていた。彼らは蚊となるのだ。成虫となった蚊たちは交尾をして再び水のたまったバケツにボウフラを産み付ける。何のために子を産むのか、疑問に思う知能はない。子を産むためのエネルギーは血を吸って得ればよい。

 そう。蚊にとって血を吸うのは子孫を残すためのエネルギー補給だ。メスだけが吸えばよい。しかし、バケツの中のボウフラに一匹、吸血行為に興味を持ったオスがいた。彼は他のボウフラと一切相違ない普通のボウフラのオスであるが、どうしてだか血が吸いたかったのだ。吸いたくて吸いたくてたまらなかったのだ。