私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

大学の時に書いた書きかけの文章5

「あの人、暗そうだったものね」

 会話の流れで私の知人の話になり、彼のことを友人がそう評価した。私は驚いた。私は私の知人を暗い性格だと思ったことがなかったからである。かと言って私はその知人を別段明るいと思ったこともなく、普通の人間だろうと思っていた。

「どの辺を暗そうだと思ったんだい」

「え、どこら辺ってなんとなくですよ。えっと、気を悪くさせちゃいましたか。お友達を悪く言って」

「確かに悪くは言われたけど、そんなことより今は気になることがある。僕は別段あの知人を暗いとも明るいとも思っていなかったんだ。そこに君が彼を暗いと評価して驚いた。どうして同じ人間に対する評価が食い違うのか気にかかるんだ」

 友人は得心した様子になる。

「私が暗そう言ったのは第一印象ですよ。人間はなんとなくで人の性質を図れるでしょう」

「そうなのか」

「そうなのか、って。あなたもしや知り合った人たちの印象や人柄を全然推し量ってないんじゃないですか」

「全然と言う訳じゃない。ちゃんと嫌な奴からは離れるようにしている」

「それでも第一印象で人柄を推測できなきゃ駄目でしょう」

「なんで駄目なんだ?」

「なんでって……不快な人物と気づかず接していやな思いをなさるのは嫌でしょう」

「不快な人物って」

「暗い人がそうです」

「どうして暗い人物が相手だと不快なんだ?」

「こっちの眼を見ないぼそぼそとした話し方とかいらつきませんか」

「そうか?」

「……」

 友人はなんだかいらいらしているようだった。私が首を傾げていると、そのまま無言で立って出てってしまった。

「ということがあったのだが、どうして僕の友は怒ったのだろう」

 私は先日の顛末を知人に聞かせていた。彼が一度ちらっとしか会ったことのない人に「暗そう」と評価されていることを伝えるのは、あまり良くないかとも思ったが、友人が怒った理由が気になったし、彼が相談するに適任だと思えた。

「君はパソコンを初心者に教えたことがある?」

 彼は相変わらずの節目がちに話を始めた。

「ある」

「いらいらしなかったかい?」

「した」

 母親にパソコンの操作を教えたとき、彼女はごく基本的な操作すらできなくて私はいらいらした。

「そのいらいらの原因と君の友人のいらいらの原因は同じだね」

「なんと」

 素直に驚く。

「つまりね、君の友人は当たり前のことが分からない君にいら立ったんだよ。当たり前のことを共有できなくてじれったいんだろうね」

 そこまで言われると私も分かってきた。

「つまり僕の友人が暗い人を避けたいと言うのも」

「同じ理由だね」

 僕はため息をつく。

「僕も、僕の友人のために友人が持っているような『当たり前』を手に入れた方がいいんだろうか」

「おいおい、よしてくれ」

 彼は少し困った顔をする。

「俺が君のそばに安心していられるのは、君がその『当たり前』を所持しないで俺のような人間を当たり前のように扱ってくれるからなんだぜ」

 

 

 

 布団の中で寝返りを打つ。頭は覚醒していたが、まだ考えたいことがあったので目は開けなかった。

 

 

「君は秘密主義者だよねえ」

 

 

大学の時に書いた書きかけの文章3

 あの日、私は初めて夜を体験した。

 その思い出を追体験したくなって、今、思い返している。

何かの用事で遠出した帰りに、お父さんの運転する車が渋滞に巻き込まれて、22時を過ぎても家まで帰りつけなかった。そのころの私は毎晩21時には布団に入るほど眠るのが大好きな子で、夕御飯を済ませた以降に外へ出たことがなかった。せいぜいカーテンの合間から少しだけ真っ暗な景色を眺めるくらいで、真っ暗な街並みに放り出されるのは初めてのことだった。

夜の道路を行き交う多くの自動車は、暗闇の中をライトと街灯だけ頼りにして走っていく。それらの灯りは太陽に比べたら全然頼りないのに自動車は構わずスピードを出して、事故を起こしたりしないだろうかと私を心配にさせた。私たちを追い越していく車のタイヤが立てる唸り声がテレビで見た怪獣の声みたいに思えて、震え上がったのを今でも覚えている。

そのあと車は休憩のために高速道路のサービスエリア停まって、私はドキドキしながら車から降り立った。このとき初めて体は闇夜に晒されて、新世界に来たようだった。最初の一歩を踏み出して抱いた感想は空気の違いだ。車内の空気はどんよりと生暖かくて、私を車酔いさせるためにあるような気がしていた。そんなものを吸わないと生きていけないなんて奴隷のようだ。そんな私を夜は一気に開放した。ひんやりとした雰囲気が私を包み込んで火照ったほっぺたに心地よかった。風邪をひいたとき顔に当てられるお母さんの冷たい手と同じ感触がした。

次に私は夜の暗さにびっくりした。その見通しの悪さ、両親の表情に影が差してはっきり見えない感じ、代わりに自分の耳と鼻が鋭敏になるのに気付くと、いよいよ別の世界に来てしまったと思い始めた。車の走る音が道路の方からいつもと違うように聞こえた。感覚的なことだから、どう違うのか問われたら答えに詰まってしまうが、とにかく違うのだ。鼻をひくつかせたら美味しそうなにおいがする。サービスエリアの売店で、お父さんがフランクフルトを買ってくれた。

このような真っ暗闇は、夜に眠るときに自分の部屋でも再現できたが、それは自分の意思で自由にまた明るくすることもできた。しかし外には電灯をつけるためのひもはない。空を見上げるとただ夜空が広がっているだけだ。首が痛くなるくらい顔を上に向けても見渡せない丸くて広い空。360度見渡そうと、私はそこでぐるぐる回転した。飽きないのだ。いくら見上げても夜空が私を惹きつけたのだ。

 学校の音楽の時間に「きらきら光る夜空の星よ」と歌うことは幾度とあったが、本当にきらきら光っているとは思わなかった。サンタクロースがいるなんて嘘だったけれど、綺羅星は実在した。それが一番の感動だった。美術の時間にクラスメイトの誰かがスパッタリングで星を表現していたけれど、本物には敵わない。絵はあんな風に煌めかない。どうやったらあれが絵に描けるのか考えてみたがわからなかった。折り紙に金色や銀色のものがあるんだから、絵具をうまく調合すれば、あんな風に光る色を塗れるのではないかと思った。

 満点の星空を見上げるうちに気づくことがあった。視界の端に映った星の光をちゃんと見ようとして正面にとらえようとするとその星は消えてしまう。

 

 

 チップチューンだよ、ゲームボーイの。

 

大学の時書いた書きかけの文章2

 なんで人間が道具を使い始めたと思ってんだ。

 

 小説を書いている。いつから小説を書き始めただろう。覚えてないけれど、小説を書き始めたらその人間はたちまちに物書きだ。人間ほど日常生活に道具を使う動物もいないけれど、その中でも物書きほど文字を道具にする動物はいないだろう。

 なんで人間が道具を使い始めたと思ってんだ。素手ではできないことをするためだったろう。じゃあ素手は何をするんだ。外部へ働きかけるためのものだよ。

 物書きが文字を道具として使うなら、何も持たない人間には普通届かないところへ働きかけをさせる目的で人は道具を使う。たとえば人の心に働きかけをするためとかさ。普通の人なら別に文章を書かなくてだけどだけど。

うああ。

なんで人間が道具を使い始めたと思ってんだ。

 

シャルロットぷろとたいぷ

 リズムいいなあとか音楽聴きながら思っている。自然とキーボードを打つ指の動きもリズム良くなってきている。音楽を聴いているときは目をつぶってきて区のが最高だ。一番エキサイティングできる。つまりこの文章も目をつぶりながら打っているんだぜ。

 私は最近気負いすぎていたところがあった。人間だからすぐれたものがあるとそれを超えたいと背伸びしてしまうからな。小説を書いているときにプロの小説を読むなんて、失敗を自ら連れてきているような気がする。

 やっぱり小説を悪なら音楽を聴きながらのほうがいい。競わなくていい最高のものを皆があ捜索活動をしているんだ。

 でも目をつぶりながら小説を書くのは少し不安になってくる部分もある。なにせちゃんと打てているのかわからないからな。タイプミスや変換ミスも確認しきれない。

 でもそれらのミスが直接文字の良しあしに英雇用することはないだろう。俺は目をつぶって文章を打つ。さあ、話を始めようか。

 

イメージするんだ。ここではないどこかの世界を。

 

 睡眠から覚めるとそれまでのお祭り騒ぎのような夢の雰囲気は無産してしまって、味気ない朝の雰囲気が漂ってくる。ああ、まだ寝かしてほしい。目をつぶったまま、体にかけられたタオルケットを引き寄せて転がってうつぶせになる。床の堅い感触がした。でもなんも日門に思わない。夢の続きを思い出すのが大事だ。ああ。どんな夢だっただろう。あんなにいい夢を見ていたのに、夢の中にいるときgは間違いなく僕はその世界の住人跡疑問の余地もあなく信じていたはずなのに。帰る場所を失った哀れな蜂のようだ。家にできた蜂の巣を撤去したあと、外の探索から戻ってきた一匹の鉢が所在な下げに巣のあった場所を漂っていたのを覚えている。

 でもぼくには帰るところがあったようだ。めをつぶっているとそれ以外の感覚器官のがするどくなってくる。今回は花が働いたのさ。いいにおいがする。目玉焼きの匂いだ。ああ、仕方ない、現実に変えるのも悪くはないかもしれない。

 目をあけると、知らない部屋だった。真ん中にテーブルがあって、足を折りたためるてーぶるうがあって、自分の屁y谷は置いていないはずのたんすとかかわいらしい色をした布団のかかったベッドとか、隅っこにはなぜか藁棒気があった。開け放たれたカーテンは薄い水色をしている。私の家のカーテンはそんな色じゃない!

「え」

もしかして、ここは女のお子の部屋なんじゃないかい。え、え。

 おかしい。もしかsて部屋を間違えたんじゃないか。昨日の記憶を思い返そうとする。しかし駄目だった。頭が痛くて、これはきっと二日酔いだ。なに、記憶が無くなるまで飲んでいるんだ、ばか! 僕の知り合いに一晩も泊まらせてくれる女の子なんていない。いないはずだ。じゃあ、間違えたのか。まちがえちゃったんだろうか・

 その時、音がした。いいにおいのする法にドアがあって、その向こうに人がいる気配がする。それが、こっちにやってくる気配がする。いきなりの状況に理解が追いついてないが、危機感が神経を研ぎ澄まさせてたので、鋭敏に反応することができた。もしここで家主に見つかったら警察に月田さねかねない御。そうしたら俺の人生は自エンドだ。親がなく。親戚一同が攻めてくるだろう。ドアノブが回されようとしていた。僕は部屋をきょろきょろ見渡して、とっさに隠れた。どこに? カーテンの中だった。子供の頃よくやったよね、カーテンに隠れるの。あの頃はマジで見つかってないと思ってたんだけどなあ。

「お、先輩、どこですか?」

 女の声が聞こえる。やっぱりこんな声には聞き覚えがないし、カーテンに隠れただけのおt子を見つけられないような女だって、知り合いにはいない。テーブルに何か置かれる音がする。多分、目玉焼きを乗せた皿だ。食べたい。でもここで素直に出てっても食べさせてもらえることはなく、警察呼ばれるんだろうなあ。

「先輩、どこですか^?」

 オン案はまだ俺を探している。いや正確には千ぽ愛を探しているんだろうが。しかし、そろりそろりとまっすぐこちらに向かってきているきがする。くそっ、本当は気づかれている!?

「ここかー?」

御女がカーテン越しに抱きついてきた。あ、有罪確実だと思った。彼女がこれd3え抱きついたのが愛しの先輩でないことに気づいたら、有罪が確定してしまう。こうなったら方法はひとつしかない。女の抱擁を振り払い、カーテンから顔を出す。同時に言った。

「お前は誰だ」

「えっ」

 女は眼を丸くする。茶色がかった肩までのびた髪の、異国の女だった。まさか外国人とは思わなかったが、やっぱりその顔には見覚えがない。彼女が驚いている隙に言葉を重ねる。

「どうして俺をこんなカーテンの中に監禁した。一体何が目的だ。まさか、」

「えっ、えっ」

 彼女の反応をみるに、うまくいったのではないかと思う。

「」

読書感想文。堀辰雄『大和路・信濃路』

 引越ししてゆく友人からもらった本の中で、この本が一番もらって良かったなと思う(まあまだ全部読んでいないが)。堀辰雄の『大和路・信濃路』。

 堀辰雄と言えば小説『風立ちぬ』が今度スタジオジブリでアニメ映画化するなど、有名だ。『風立ちぬ』は前に読んだが、あれは傑作だった。

 さて一方で今回の『大和路・信濃路』は小説ではない。日記や読書感想文の体で短い文章がいくつか掲載されている。私はこれを読んで国語の教科書の様な印象を受けた。教科書と言ってもあんな文学作品の寄せ集めではない。堀辰雄は詩的で情緒的な文章を書いたのだ。伊勢物語更級日記のような日本の古典文学から受けた感銘、リルケの『ドゥイノ悲歌』への思いといった文学作品を独自に解釈して、中々ロマンチックに書き綴っている。まあちょっと文章がくどくて読みにくいところがあったがの。

 堀辰雄の『大和路・信濃路』は物語のようなドキドキワクワクはないが、自然に対する感動や、作者の文学への想いの詰まった良き一冊である。もし巡り合うことがあれば手に取ってみてはどうだろうか。

書きたいときに書く。

 ブログを始めたばかりなので数分の間に二つ目の記事を書きたくなる。

 これは私の新しい物好きによるものだ。はてなブログ自体は昔から存在しますが、このブログが私の人生をかすめていったのは今なのです。今です。今ですもんね。

 ブログの書式と言うのがよく分かりません。行の一番最初でスペース(インデントというらしい)を開けるべきなのでしょうか。どうやら改行する度に行間にスペースが出てくれるらしいですから、インデントがなくても読みやすいんじゃないでしょうか。

 たとえば一段落が一行以下だったら

 こんな風に

 行の頭の位置がそろっていて

 どのみち読みにくいんじゃないでしょうか!

 このように新しいものは分かり難い。参考になる前例がないから分かり難い。や、探せばたくさんあるだろうけれど、参考にするために他人のブログ探すのって面倒じゃん? 

 じゃん!

 じゃんって語尾はなんなんでしょうね。語尾にじゃんってつけるとなんだかおちゃらけた感じになるじゃん?

 でもおちゃらけてたって人は離れていく一方じゃん。

 じゃんじゃん使っていこうじゃん。

 や、もうじゃんは飽きた。

 ああ、そうか一行以下の文章が連続したら記事を書き終わりにしたらいいのか。

 ひとつ覚えた。

Hey! No title!

 はてなブロガーになりました。新鮮な響きです。ブログなんてめったにしませんからな。けれどこれからめったにしますんだ。書きまくりだぜ!

 だけどしょっぱなから意気込む人ほど三日坊主になり易い。どうしてこの意気込みがいつまでも続いていかないのだろう。勢い良く投げたボールもすぐ地面に落ちてしまう。でも落ちてもまた跳ねるさ。止まってもまた拾えばいいさ。うん。

 このブログを見ている君も三日坊主くらいたくさん経験しただろう!? 一体2ページしか進んでない日記が何冊ある? 最初の数ページに栞を挿んだままの小説が一体何冊ある? 夢や希望はいくつやり遂げた? 実は君こんなブログ読んでる場合じゃないんじゃないの?

 まず料理でも作ってみたら。私は明日グラタン作るぜ! そのためにさっき鶏肉勝ってきたぜ! ついでにコーラ買ってきたよ。コカコーラなんだ。最近ラベルに1980年とかそういう年号が書いてあるのってなんでなんだぜ? 私まだ生まれていませんよ。コーラは人生の先輩だ。

 一体いくつの人間が今までコーラによって虫歯にされてきた。コーラは一体何人の歯を溶かしてきたんだ。きのこたけのこは対立するのにコーラとペプシはなぜ対立しない? 私はポカリよりアクエリアス派ですわ。なんだ。最近スポーツしていないからポカリもアクエリアスも飲んでいないぞ。

ドリンクバーにスポーツドリンクは置いていないんだ。実はお茶と混ぜると変な味がする。アクエリアスとお茶を混ぜるんだ。オススメはしない。灰色の人生と同じ味がする。