私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

流れ星の話

 私がこの前卒業した大学は、大学以外には何もなかった。

 大学生の生活はおよそ大学と大学の周辺の環境によって決定されるが、あの大学には周辺の環境というものが「何もない」の一言で言い表せたのである。足を延ばしても遊び場はない。海も見えない。夜道には街灯もない。

 こんな環境で送る大学生活は、寂しさと寂しさを忘れるための集いでつくられた。夜ごとに開かれる目的のない集会。酒を酌み交わして全部忘れた。だけどふと我に返ると、なんだかとっても虚しかった。

 そういう日々を続けていた大学生の私は、ある夜の空に星がすっと流れるのを見た。流れ星を見るのは初めてだった。私は流れ星が消えてしまった後も、ぼうっと夜空を見上げていた。しばらくして我に返る。

「そうか。ここには何もないが、星空だけはあったんだ!」

 インターネットで調べたら、年に数回流星群という現象が見られるらしい。あの流れ星がじゃんじゃか流れるらしい。興奮した私は時期を待って、夜の街に出た。期待通りに流れ星は流れた。

 なんということだ!

 私は大学生になるまで一度だって流れ星を見たことがなかった。なのに私は一晩のうちにいくつもの流れ星を体験している!

 

 大学生活を送る上で、流れ星は30個は見れたと思う。もう、一生分見たなと思った。一生分の流れ星を見た大学生活だ。笑ってしまう。流れ星を見て得られたことなんて「願い事をしても叶わない」ということだけだった。

「流れ星が叶えてくれないなら自分で叶えるしかないな。ああ、まったく仕方ない」

 本当に仕方なかったんだ。私は大学を卒業したよ。

大学を卒業しました

 なんだか違いますね。大学のある地と地元では。桜の咲き具合が全く違う。

 桜が咲いているのは結構なことで、青空にの下の花びらも、雨に濡れた花びらも、街灯に照らされた花びらも、どれも綺麗な色をしています。こういう花を入学式だとか入社式みたいな時に見られれば、心機一転という気分にもなりましょうな。でも卒業式に咲かれたらそうはならない。

 5年も住んでいた土地を離れることになりました。ちょうど郷土愛が芽生え始める時期に去るなんて心の弱いところを殴られるようなもの。早まった桜の開花がそれに追い打ちをかけてきやがります。泣きっ面に桜ですね。なぜ今咲いた。あったかいからだ。

 あったかくなると良いねえ。なんだか嬉しいよ。薄着に慣れるから体が軽いぜ。やったね。ひゃっほーって叫んで跳びはねたくなるね。

 

大学生でいられるのもあと一日なので小説を書きました。

 座敷わらしは古本屋にいました。

 なぜ古本屋にいたかと言いますと、前に住み着いていたおにぎり屋さんにいずらくなって脇目も振らずに飛び出したところ、気づくと古本屋にいたのです。座敷わらしがおにぎり屋さんを飛び出したのは、店主が欲を隠そうとしなくなり醜悪に思えたからです。座敷わらしの居ついたお店は例外なく商売繁盛となりました。そうして幸せそうに喜ぶ店員の様子を見るのが座敷わらしの幸福の一つでした。けれどもなぜでしょう。人は少し豊かになるとどうしてかさらなる富を求めます。お店が繁盛したあと、店主はみな野心を見せ始めます。札束で他人の頬を叩いてのし上がっていく店主の醜さは筆舌に尽くしがたいものです。それで座敷わらしは嫌になってお店を飛び出してしまうのです。座敷わらしが出て行ったお店はたいてい運気を失ってつぶれてしまいます。おにぎり屋さんは脱税がばれて廃業になりました。

 そんな風に人の栄枯盛衰を何度も見てきた座敷わらしは人間を侮るようになりました。人が幸せを得ていく様子に喜びを感じる一方で、住み着いた人が醜悪さを見せ始めると「やっぱりにんげんってダメなのね」と言って、人間に対して優越感を抱くというゆがんだ二面性を持ったのです。座敷わらしが古本屋を訪れた今回も、古本屋の店主はきっと同じ結末をたどるのだろうなと思いました。

 さて、この古本屋は若い店主の城でした。本の城です。本が好きな店主は積み上げた書籍の塔に囲まれて、閑古鳥が鳴くのも気にせず昼夜読みふけっていました。寂れた古本屋はさっぱり儲かりませんでしたが、店主には学生時代にアルバイトで貯めた貯金がありましたし、本を読んでいれば食事をとるのも忘れてしまうので食費もかかりませんでした。このまま細々と本と一緒に生きていく心づもりだったのです。

 座敷わらしが古本屋にやってきた日、店主は何となく何者かが店にやってきたなと感じとりました。ですが本を読む方が重要だったので放っておくことにしました。お店の中はページをめくる音、座敷わらしがどたどたと走り回る音、時折店主がコーヒーをすする音しかしません。

 座敷わらしは店主の背中に寄ってきました。店主が何をしているのか気になって、背中越しに店主が持っているものを見ました。もちろんそれは本でした。文章を目にした座敷わらしは、得意げにページに書かれている文字を読み上げます。

「じょ、ば、ん、に。ら、つ、こ、の。う、わ、ぎ、が。く、る、よ!」

 店主は舌打ちをしました。ここで初めて本から意識を外して座敷わらしに興味を向けたのです。彼は、

「どうして子供というものは必ず文章を声に出して読むんだ。しかも一文字ずつ区切って言うからたちが悪い。読むペースがくるってしまうじゃないか。おかげでひどく気が散ってしまった」

と思いました。

 店主はちょっと考え、本の山をかき分けて古ぼけたラジカセをひっぱりだしました。ラジカセにセットしっぱなしだったCDを再生するとロックンロールが流れ出します。座敷わらしはロックの曲調に興味を惹かれました。そして音楽に合わせてハミングしたのです。読んでる本の文章を読み上げられるよりはだいぶマシになりました。店主はやれやれどうにかなったぞと再び読書に戻ろうとしました。けれどそこへ珍しくお店のドアが開き、お客さんが入ってきました。店主は本に栞をはさんで閉じ、むっすりしながら営業スマイルをつくりました。

 翌日、古本屋はたくさんのお客さんであふれかえっていました。以前とは一変したお店の繁盛っぷりに店主はてんやわんやです。座敷わらしはラジカセから流れるロックンロールに耳を傾けながらその様子をほくそえんで見ていました。店主はきっとお店の繁盛に喜ぶだろう、そして儲けた金に目がくらみ、例の醜い欲をさらけ出すのだろうと思いました。

 けれど店主はずっと不機嫌な顔をしていました。千客万来に、朝から本を読む暇がないからです。それだけではありません。店主が今度読もうと思っていた本を、客がどんどん買っていくからです。3巻まで読み進めていたシリーズものの小説の最終巻だけ客に買われたときは泣きそうになりました。いや、怒ったのです。店主は悲しみなんかよりも怒り心頭でした。愛する本がどんどんなくなっていく状況に耐えかねた店主はついに接客スマイルをかなぐり捨て、客たちを怒鳴りつけました。

「ここは俺の城だ! お前らに売る本はねえ! 出ていけ! 本を置いて出ていけ!」

 店主の剣幕に気圧されて、客は続々店を去っていきました。けれど時すでに遅く、めぼしい本たちはみな買い去られてます。店主は店内の惨状にがっくりと膝をつきました。

 今までに見たことのない展開に、座敷わらしも呆然としていました。まさか自分の住み着いた店の店主が幸せになることなく不幸になるなんて思わなかったのです。座敷わらしは根はまじめでしたから、一度幸せを味わってから地獄に落ちるならまだしも、良い思いを一切することなく店主を不幸にしてしまったことに責任を感じました。申し訳なさと店主の惨めさにいたたまれなくなった座敷わらしは、古本屋を飛び出しました。

 これは敗走だと座敷わらしは感じました。人間に対する、初めての敗北です。人間に対する優越感が崩れ、座敷わらしの幼いプライドに傷がついたのです。

 座敷わらしがいなくなると古本屋は平穏を取り戻しました。大繁盛が一夜の夢のように消え失せ、店主だけの城が戻ってきます。けれど城壁はボロボロでした。読む本をなくした店主は魂の抜けたように椅子へ座りこみます。本がなければ店主にするべきことはありません。ぼんやりと古いラジカセからロックンロールが流れてくるのに耳を傾けていました。

 他にすることもないので、店主は座敷わらしのことを考えました。そういえば座敷わらしは、文章を読むときに一字ずつ区切って言葉を発していました。けれどもロックンロールにハミングしていたときは、ハミングにそういった区切れはなかったなあ、と不思議に思ったのです。同じ口から音を出す動作には変わりないのに、文章と音楽でどうして違うのでしょう。店主は考え込みます。文章は目で見るものなのに対して音楽は耳で聴くものだからなのか。記憶を探ってみると、子供が文章を一字ずつ区切って読むのは子供の未熟さゆえに熟語を認識する能力が足りていないからだ、という話を何かの本で読んだことがあります。なら音楽のメロディは熟語という形で認識する必要がないってことでしょうか。そもそも音楽ってドレミファソラシの一音ずつに判別して区切るのはたいそう難しいことだ、と店主は気づきました。

 同時に、古本屋の店主は、自分が本に書いてあったこと以外の事柄について深く考えていることに気づきました。店主は少しおかしみを覚えます。彼はたまには本以外のことも良いかもしれないと考え、少し幸せを感じました。

 翌日、古本屋は火事で全焼し、灰になりました。座敷わらしが運気を引き上げていったためです。古本屋の店主は焼け跡に立ち「焚書坑儒なんて時代錯誤だ!」とわけのわからないことをわめきました。

 こうして彼は本と決別した人生を歩みだしました。

 

Fin.

大学の時に書いた書きかけの文章はあと20片くらいはあるんだ。でもここらでやめとく。

 片田舎の民家の庭の片隅に水が入ったまま放置されたバケツへ産み付けられたボウフラたち。彼らは本能的に自分の将来を知っていた。彼らは蚊となるのだ。成虫となった蚊たちは交尾をして再び水のたまったバケツにボウフラを産み付ける。何のために子を産むのか、疑問に思う知能はない。子を産むためのエネルギーは血を吸って得ればよい。

 そう。蚊にとって血を吸うのは子孫を残すためのエネルギー補給だ。メスだけが吸えばよい。しかし、バケツの中のボウフラに一匹、吸血行為に興味を持ったオスがいた。彼は他のボウフラと一切相違ない普通のボウフラのオスであるが、どうしてだか血が吸いたかったのだ。吸いたくて吸いたくてたまらなかったのだ。

大学の時に書いた書きかけの文章5

「あの人、暗そうだったものね」

 会話の流れで私の知人の話になり、彼のことを友人がそう評価した。私は驚いた。私は私の知人を暗い性格だと思ったことがなかったからである。かと言って私はその知人を別段明るいと思ったこともなく、普通の人間だろうと思っていた。

「どの辺を暗そうだと思ったんだい」

「え、どこら辺ってなんとなくですよ。えっと、気を悪くさせちゃいましたか。お友達を悪く言って」

「確かに悪くは言われたけど、そんなことより今は気になることがある。僕は別段あの知人を暗いとも明るいとも思っていなかったんだ。そこに君が彼を暗いと評価して驚いた。どうして同じ人間に対する評価が食い違うのか気にかかるんだ」

 友人は得心した様子になる。

「私が暗そう言ったのは第一印象ですよ。人間はなんとなくで人の性質を図れるでしょう」

「そうなのか」

「そうなのか、って。あなたもしや知り合った人たちの印象や人柄を全然推し量ってないんじゃないですか」

「全然と言う訳じゃない。ちゃんと嫌な奴からは離れるようにしている」

「それでも第一印象で人柄を推測できなきゃ駄目でしょう」

「なんで駄目なんだ?」

「なんでって……不快な人物と気づかず接していやな思いをなさるのは嫌でしょう」

「不快な人物って」

「暗い人がそうです」

「どうして暗い人物が相手だと不快なんだ?」

「こっちの眼を見ないぼそぼそとした話し方とかいらつきませんか」

「そうか?」

「……」

 友人はなんだかいらいらしているようだった。私が首を傾げていると、そのまま無言で立って出てってしまった。

「ということがあったのだが、どうして僕の友は怒ったのだろう」

 私は先日の顛末を知人に聞かせていた。彼が一度ちらっとしか会ったことのない人に「暗そう」と評価されていることを伝えるのは、あまり良くないかとも思ったが、友人が怒った理由が気になったし、彼が相談するに適任だと思えた。

「君はパソコンを初心者に教えたことがある?」

 彼は相変わらずの節目がちに話を始めた。

「ある」

「いらいらしなかったかい?」

「した」

 母親にパソコンの操作を教えたとき、彼女はごく基本的な操作すらできなくて私はいらいらした。

「そのいらいらの原因と君の友人のいらいらの原因は同じだね」

「なんと」

 素直に驚く。

「つまりね、君の友人は当たり前のことが分からない君にいら立ったんだよ。当たり前のことを共有できなくてじれったいんだろうね」

 そこまで言われると私も分かってきた。

「つまり僕の友人が暗い人を避けたいと言うのも」

「同じ理由だね」

 僕はため息をつく。

「僕も、僕の友人のために友人が持っているような『当たり前』を手に入れた方がいいんだろうか」

「おいおい、よしてくれ」

 彼は少し困った顔をする。

「俺が君のそばに安心していられるのは、君がその『当たり前』を所持しないで俺のような人間を当たり前のように扱ってくれるからなんだぜ」

 

 

 

 布団の中で寝返りを打つ。頭は覚醒していたが、まだ考えたいことがあったので目は開けなかった。

 

 

「君は秘密主義者だよねえ」

 

 

大学の時に書いた書きかけの文章3

 あの日、私は初めて夜を体験した。

 その思い出を追体験したくなって、今、思い返している。

何かの用事で遠出した帰りに、お父さんの運転する車が渋滞に巻き込まれて、22時を過ぎても家まで帰りつけなかった。そのころの私は毎晩21時には布団に入るほど眠るのが大好きな子で、夕御飯を済ませた以降に外へ出たことがなかった。せいぜいカーテンの合間から少しだけ真っ暗な景色を眺めるくらいで、真っ暗な街並みに放り出されるのは初めてのことだった。

夜の道路を行き交う多くの自動車は、暗闇の中をライトと街灯だけ頼りにして走っていく。それらの灯りは太陽に比べたら全然頼りないのに自動車は構わずスピードを出して、事故を起こしたりしないだろうかと私を心配にさせた。私たちを追い越していく車のタイヤが立てる唸り声がテレビで見た怪獣の声みたいに思えて、震え上がったのを今でも覚えている。

そのあと車は休憩のために高速道路のサービスエリア停まって、私はドキドキしながら車から降り立った。このとき初めて体は闇夜に晒されて、新世界に来たようだった。最初の一歩を踏み出して抱いた感想は空気の違いだ。車内の空気はどんよりと生暖かくて、私を車酔いさせるためにあるような気がしていた。そんなものを吸わないと生きていけないなんて奴隷のようだ。そんな私を夜は一気に開放した。ひんやりとした雰囲気が私を包み込んで火照ったほっぺたに心地よかった。風邪をひいたとき顔に当てられるお母さんの冷たい手と同じ感触がした。

次に私は夜の暗さにびっくりした。その見通しの悪さ、両親の表情に影が差してはっきり見えない感じ、代わりに自分の耳と鼻が鋭敏になるのに気付くと、いよいよ別の世界に来てしまったと思い始めた。車の走る音が道路の方からいつもと違うように聞こえた。感覚的なことだから、どう違うのか問われたら答えに詰まってしまうが、とにかく違うのだ。鼻をひくつかせたら美味しそうなにおいがする。サービスエリアの売店で、お父さんがフランクフルトを買ってくれた。

このような真っ暗闇は、夜に眠るときに自分の部屋でも再現できたが、それは自分の意思で自由にまた明るくすることもできた。しかし外には電灯をつけるためのひもはない。空を見上げるとただ夜空が広がっているだけだ。首が痛くなるくらい顔を上に向けても見渡せない丸くて広い空。360度見渡そうと、私はそこでぐるぐる回転した。飽きないのだ。いくら見上げても夜空が私を惹きつけたのだ。

 学校の音楽の時間に「きらきら光る夜空の星よ」と歌うことは幾度とあったが、本当にきらきら光っているとは思わなかった。サンタクロースがいるなんて嘘だったけれど、綺羅星は実在した。それが一番の感動だった。美術の時間にクラスメイトの誰かがスパッタリングで星を表現していたけれど、本物には敵わない。絵はあんな風に煌めかない。どうやったらあれが絵に描けるのか考えてみたがわからなかった。折り紙に金色や銀色のものがあるんだから、絵具をうまく調合すれば、あんな風に光る色を塗れるのではないかと思った。

 満点の星空を見上げるうちに気づくことがあった。視界の端に映った星の光をちゃんと見ようとして正面にとらえようとするとその星は消えてしまう。

 

 

 チップチューンだよ、ゲームボーイの。

 

大学の時書いた書きかけの文章2

 なんで人間が道具を使い始めたと思ってんだ。

 

 小説を書いている。いつから小説を書き始めただろう。覚えてないけれど、小説を書き始めたらその人間はたちまちに物書きだ。人間ほど日常生活に道具を使う動物もいないけれど、その中でも物書きほど文字を道具にする動物はいないだろう。

 なんで人間が道具を使い始めたと思ってんだ。素手ではできないことをするためだったろう。じゃあ素手は何をするんだ。外部へ働きかけるためのものだよ。

 物書きが文字を道具として使うなら、何も持たない人間には普通届かないところへ働きかけをさせる目的で人は道具を使う。たとえば人の心に働きかけをするためとかさ。普通の人なら別に文章を書かなくてだけどだけど。

うああ。

なんで人間が道具を使い始めたと思ってんだ。