私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

小学生の時クラスの女性に「塊魂やりこんでそうだね」と言われたが私は塊魂をしたことがなかった。

 みなさんはいつ物心がつきましたか?
 3歳とか4歳ですか。
 私の場合、15歳の時に物心つきました。中三の冬です。深夜BSで放送していたアニメをボーっと見ていたところ、突然自分がこの世界に存在していて、自分の体と心に対して主体性を持っているのだと気付きました。そして自分の状況を茫然と振り返り、私がいかに自らの心身に対して無自覚で、自分をとりまく世界について知ることに無頓着だったかが分かりました。「やばい、このままだと私将来ニートになるんじゃないのか」。本能的にそう思いました。その後私は生まれて初めて感じた焦りの気持ちに後押しされ、大学受験を志して高校三年間を受験勉強に捧げたのですがそれは別のお話。
 こんな調子でしたから私は15歳より昔の記憶が曖昧です。思いだそうとしても不真面目に聞いた授業の内容並みに覚えていなくて、子供のころ連れて行ってもらった行楽地や小学校や中学校で同じ部活だった人たちの名前も言えません。
 ですが薄暗い記憶の中にもかすかに光る灯火があります。両手で数えられるほど数少なくて曖昧な思い出ですが、私にとっては中学生以前の自分が確かに存在していたことを保証するものです。
 例を挙げれば、
「昼寝から覚めるとタオルケットがかけられていて母親が洗濯物を畳んでいた」
「幼稚園の身体検査が男女一緒に行われ、みんなパンツ一丁になったのですが、女の子の一人が胸元を終始隠して頑として見せようとしなかった」
「家の近くで大量にカエルを捕まえ、一晩虫かごに入れておいたら、翌朝暑さで全滅していた」
「小学生の時クラスの女性から『塊魂やりこんでそうだね』と言われたが、私は塊魂をやったことがなかった」
 と言った記憶です。
 こうした記憶は小説を書いていると時々思い出すことがあります。きっと無意識化に刻まれていたのがデジャヴを感じてひょっこり顔を出すのでしょう。
 私はもっと過去を思い出したい。中には辛い記憶もありますが、というか辛い記憶の方が多いですが、辛い記憶よりも忘れた過去が持つ不確かさの方が恐ろしい。その手の恐怖は心の暗いところをゆっくりと締めつけていく万力のようなものです。今まで歩んできた道が分からなければ現在を誇ることもできないではないですか。
 だから書きます。
 私はたまに小説を書きます。誇りと、自信のために。