名取さなさんが出てくる短い小説書きました
「かっこよく終わるヤツやるから見ててくれよな」
マイクに向かってそう宣言すると、名取さなはBGMの音量を大きくして、そのまま配信を切った。バーチャル・サナトリウムに静寂が戻ってくる。
『バーチャル・サナトリウム文学』
名取さなはバーチャル地方の新米ナースだ。現在、海の見えるバーチャル・サナトリウムに赴任している。ここで名取は「せんせえ」たちと遊んだり、vtuberの配信を見たり、エゴサーチをしたりして日々を過ごしている。いましがたもYouTubeを利用してせんせえたちとの雑談を楽しんでいたところだ。
パソコンの画面に映る配信のページには、せんせえたちから寄せられたコメントがならんでいた。
「どこいくの? いかないで」
「朝9時まで延長して」
「毎秒配信して」
いつものごとく、終盤には配信の終わりを惜しむコメントが多数ならんだ。あまりに惜しむあまり、せんせえたちの要求は毎回かなり無茶ぶりになる。コメントに目を通した名取は、せんせえたちったらホントにしょうがねえなあ、と言いつつ笑みを浮かべた。
「せんせえ、名取はどこにもいかないよ。ちゃんとせんせえのこと見とるからな」
名取はTweetDeckを開いて「おつかれさな~! 今日も見に来てくれてありがとう!!」とTwitterにつぶやきを残した。
「さてさてさて、エゴサーチでもやろっかな」
名取はiPhoneを持って自室を出る。彼女が向かった先は、バーチャル・サナトリウムのとある一室――通称脳みそのお部屋と呼ばれているお部屋だった。その名の通り、お部屋には脳みその入った水槽がところせましとならんでいる。脳みそたちには、脳みそ以外なにもないが、これでもまだ生きている。水槽から出さえしなければ生存に支障はない。生命の維持に必要な栄養は水槽を満たす培養液から摂取できるし、脳みそはカートリッジから供給される夢を常時見させられているから、気が触れる心配もなかった。
名取は脳みそのお部屋に入ると、iPhoneでTwitterを開いて「#名取さな生放送」と検索をかける。検索結果は、せんせえたちの感想でいっぱいだ。名取はにんまりと喜んだ。ひとつひとつをじっくり読みながら検索結果を遡っていく。その途中、気になるつぶやきをしてるせんせえを見かけると、名取は脳みその水槽を探った。無数の水槽の中からお目当ての水槽を見つけると、名取は優しく水槽のガラスをなでた。水槽にはせんせえのアカウント名とアイコンがラベル付けされている。この脳みそこそが、名取のエゴサーチに引っ掛かったせんせえ本人なのだ。
そっと水槽をもとの位置に戻すと、名取はエゴサに戻る。そのうちまた興味深いつぶやきを見つける。もう一度水槽たちをかき分け、そのつぶやきをしたアカウントの脳みそを見つける。名取は脳みそに優しい声をかける。名取のエゴサーチはいつもこの繰り返しだった。
「名取はどこにもいかないよ。せんせえたちのこと、ちゃんと見とるからな」
名取の独り言は、サナトリウムの静寂に消えていく。
脳みそは応えず、水槽の中で名取の夢を見続けている。
名取は脳みその水槽に囲まれてエゴサを続ける。
終わり
あとがき
最近名取さなさんが好きすぎるので名取さなさんが出る短い小説を書きました。これでしばらくは名取さなさん好き好き症候群の症状を抑えることができます。
自分でも気を付けたつもりですが、もし人を傷つけたり、人を不快にさせる文章、あるいは名取さなさんが上げた動画に矛盾する箇所があればこっそり修正しますのでこっそり教えてください。
ところでタイトルの『バーチャル・サナトリウム文学』はもちろんサナトリウム文学からとっております。大正から昭和にかけて流行し、現在は下火(個人の感想)になっているサナトリウム文学を平成最後の夏に書くというだけでなんだかとても楽しかったです。読んでる人にもこの楽しさが伝わったでしょうか。みんなも書こうなバーチャル・サナトリウム文学。
米澤穂信『いまさら翼といわれても』の構成に関する考察
※この文章は書きかけなので後日加筆します。
・はじめに
この文章は、2016年11月30日に出版された米澤穂信の短編集『いまさら翼といわれても』(古典部シリーズ6冊目)に関する一考です。本作に収録されている6つの短編の隠れた関係について考えたことを述べます。
・結論
この短編集は太宰治の『走れメロス』を下敷きに、疑念と軽蔑、そして友情を描いた6つの短編青春物語である。主人公は折木奉太郎と伊原摩耶花のふたりであり、千反田えるが重要な役回りを担う。一作目の『箱の中の欠落』では、折木奉太郎が友人に対し疑念を抱く様を描く。二作目の『鏡には映らない』では伊原摩耶花が折木奉太郎への軽蔑を解きほぐすまでの話が描かれている。三作目の『連峰は晴れているか』と五作目の『長い休日』では千反田えるが折木奉太郎の内面に興味を抱き、その真相に感じ入るお話である。また、『長い休日』は『箱の中の欠落』の補足であると同時に、表題作『いまさら翼といわれても』への布石である。第四作『わたしたちの伝説の一冊』は作品の根幹である『走れメロス』に関する一考察が書かれる。第四作『わたしたちの伝説の一冊』と第五作『長い休日』では「主人公が他人から便利に使われていたことに気づく」という共通項があり、伊原摩耶花と折木奉太郎は走れメロスにおけるセリヌンティウスの様に描かれている。第六作目にして表題作の『いまさら翼といわれても』は伊原摩耶花と折木奉太郎が友人として千反田えるを迎えに行く話である。その構図は走れメロスに重なる。折木奉太郎は間に合ったが、伊原摩耶花は間に合わなかった。迎えにきた折木奉太郎に千反田えるは「軽蔑したでしょう。役割があったのに逃げ出して」と言う。この、他人の内面を確信したかのような言葉は走れメロスに出てくる邪知暴虐の王の如しである。『伝説の一冊』において王には敵がいることが書かれていたが、千反田えるにも敵がいることが横手さんのセリフから推察される。
詳しくは以下
・作品の内容について
『いまさら翼といわれても』は作者米澤穂信がここ8年間で書いた六つの短編をまとめた本です。収録作品は以下の様になっています。
『箱の中の欠落』初出2016年8月、主人公:折木奉太郎
『鏡には映らない』初出2012年7月、主人公:伊原摩耶花
『連峰は晴れているか』初出2008年6月、主人公:折木奉太郎
『わたしたちの伝説の一冊』初出2016年9月、主人公:伊原摩耶花
『長い休日』初出2013年10月、主人公:折木奉太郎
『いまさら翼といわれても』初出2015年12月、主人公:折木奉太郎
(便宜上、物語の語り手を主人公としております)
これらの短編には全体をまとめる明確な意図(あるいはテーマ)が隠されております。そのことは作者のウェブサイト(http://pandreamium.sblo.jp/)にも以下の様に示唆されております。
以下引用
>機会を見つけて書いていた短篇を、短篇集として編み上げました。
>いずれ本にするときこのような一冊になればと思い描いていたその形に、仕上げられたと思います。
引用終わり
・書かれた時期について
では、何が意図されているのか。調べるための第一歩として六つの短編を初出時期で分けます。
『連峰は晴れているか』初出2008年6月
『鏡には映らない』初出2012年7月
『長い休日』初出2013年10月
『いまさら翼といわれても』初出2015年12月
『箱の中の欠落』初出2016年8月
『わたしたちの伝説の一冊』初出2016年9月
2008年から2013年まで書かれた3作と、短編集発売直前である2015年末から2016年9月までに書かれた3作に分かれました。表題作『いまさら翼といわれても』は4番目に書かれています。書かれた時点で作者の中では短編集の構想がまとまっていただろうと推測されます。
したがって表題作以降に書かれた『箱の中の欠落』と『わたしたちの伝説の一冊』の二作品は短編を構想通りにまとめる目的で書かれたと推察され、短編集の中で重要な役割を果たしていると見て良いでしょう。『箱の中の欠落』と『わたしたちの伝説の一冊』はそれぞれ折木奉太郎と伊原摩耶花を主人公に据えています。
『箱の中の欠落』では、折木奉太郎が友人から謎を持ち掛けられるのですが、「やらなくていいことはやらない」という主義の下に謎の解決に挑むのを断ろうとします。ところで「やらなくていいことはやらない」という折木奉太郎の主義は『長い休日』で詳しく書かれており、「人に便利に使われるのは嫌だ」という想いがきっかけであったと説明されています。
一方『わたしたちの伝説の一冊』では伊原摩耶花が巻き込まれた漫研におけるトラブルが描かれます。漫研内での対立の中、われ関せずもくもくと漫画を描き続ける伊原摩耶花は友人に便利に利用されそうになります。この点で『箱の中の欠落』と本作は共通項を持ちます。また、物語の冒頭で折木奉太郎が書いた「走れメロス」に関する奇抜な感想文が載せられています。この感想文から連想して、伊原摩耶花は自分の立たされている状況をメロスに喩えます。(ただしもくもくと漫画を描き続ける姿はセリヌンティウスに近いでしょう)。
『わたしたちの伝説の一冊』で出てきた『走れメロス』という喩えは他の短編においても適用できます。
続きは後日加筆します。
劇場アニメ『聲の形』視聴しての思ったこと箇条書き
・波紋。
・花火。コーヒー。花火の振動なら聴こえなくても伝わるが、意味は乗っかってない。ディスコミュニケーションの象徴か。
・モブが身振り手振りで「おい、見ろよ。飛行船だぞ」と伝えているのに気付かない石田くん。
・ラストに英語タイトルがどーん。はたまこラブストーリーでもやってたね。
・展開の濃密さがBGMでうまいこと調子をとっていなされていた。
・水に落ちるのは生まれ変わりの象徴ってたまこラブストーリーの時にも言われてたね。
・波紋は水と音の合わさりを意味しているか
・バツが京アニっぽいデザイン
・傘で顔が見えない、光で顔が見えない、姉の顔が見えない。
・最後の文化祭で色とりどりの紙が舞ってるファンファーレっぽい雰囲気はたまこまーけっとからの伝統芸
・自分を嫌っている人間に、傘を差してやる。2回出てきた表現。映画のテーマの根底に通じている。
・親同士の関係の描き方にフェチを感じる。
・「怖いかどうかは、乗ってから決めることにしたの」って留学に臨む史織さんっぽさある。
・ポニーテールによってさらけ出された耳。守りを捨て、防御に出た感じ。
とりあえず一回目の視聴で気づいたのはこんなもん。
2014年を振り返ればひつじ年が後ろで待っている。 ※2015年1月4日追記
2014年の私はUSBメモリのキャップを失くすこと2回目。次はスライド式のキャップがないUSBメモリを買おうと思うのだが、USBメモリってあんまり買い換えないからタイミングがつかめない。なのにその間もUSBメモリの進化は止まらない。ギガバイトでも使い余してるのにテラバイトのUSBメモリなんてつくってどうするつもりなんだ。
そのうちに未来人が数千年後からやってきて「これ、アカシックレコード(世界が生まれてから滅ぶまでのすべての情報が記録されている)なんすよ」と手のひらサイズのUSBメモリを差しだしてくる。パソコンに差し込むと「新しいデバイスを検出しました」と無表情に告げられるのだが、そのデバイスはPCより容量がでかいんだ。とても内部の情報を漁ってられない。
未来人によればアカシックレコードの高速クローリング・サービスはDLC(有料ダウンロードコンテンツ)だそうだ。
「ここまで大容量化するのに先人は多大な苦労をしたんだよ」と未来人は翻訳機ごしに流ちょうな日本語で言う。「君らの時代ではまだHigh-k素材だとかスピントロニクスを研究してわいわいしてるんだろうけれど、それらに頼った技術革新は100年もしないうちに頭打ちだ。私らの未来の時代を楽しみにしておくと良い。もっと研究のし甲斐がある楽しい最先端技術が君を待っているよ」
「でも……世界のすべてが保存されたデバイスができてるのに、これ以上何を研究するんですか」僕は当然の疑問をぶつける。
「研究することは、人類が続く限り尽きることはないんだよ。すべてがUSBメモリに記録されたとしても、誰かが成し遂げなければ机上の空論に過ぎない。だから未来の知的階級は研究を続けるのさ。私も私のするべきことをやっている」未来人は神経質そうにその長い髪の毛をいじっている。
「例を挙げよう。そうだね。私の研究なんだけど『野生化した羊コミュニティと家畜化された羊コミュニティが信仰する宗教の差異についての実験的研究』というのを修士論文に書いたよ」
「いったい何の役に立つのか分からない研究内容だな」
「いやね、羊の宗教というのはとても大切なテーマなのよ。羊はここ数百年で高等知能を得た生物の中でも代表的な存在じゃないですか。彼らの羊毛を衣服に、肉体を食料に利用している私たち人類としては羊と戦争したくないですよね。そのためには彼らの思想や信仰を正確に把握してやる必要がある訳です。しかし野生と家畜で羊のコミュニティは断絶しているし構築している文化もところどころ違う。その違いをまとめ上げたのが私の修士論文であるところの――」
もういい。分かった、分かったから。ちょっと場所を移動しよう。そんな訳の分からない話はどこか居酒屋で、酒を飲みながら語ってくれ。
未来人が持ち込んだ未来のラム肉を肴に酒を飲んでいればいつの間にか2015年がやってきている。
除夜の鐘が鳴りだすと、酔いつぶれていた未来人は急に冷めた顔をする。「ああ、いけない。帰らなくては」
「帰るって、家に」
「そう、未来にさ」
未来人はUSBメモリを取り出すと、そのキャップを外して宙に掲げた。USBメモリの差し込み口から光の泡が湧きだして渦巻くように広がり、居酒屋の風景を塗りつぶしていった。
「いったい何が起こってるんだ」驚き立ちすくむ僕。
「世界が新しいデバイスを検出したのさ」
未来人は言う。「アカシックレコードに記録された時間船を世界に呼び出して、それにのって私は未来に帰る」
「ははあん。分かったぞ。世界がパソコンの代わりをしているってことか! 世界というパソコンにアカシックレコードというUSBメモリを差しこんで、記録されている時間船とやらをパソコンに移動させたってことか!」
僕はほとんど理解できていなかったのに、無理に理解したような顔をつくって言った。急な別れが不思議と僕を焦らしていた。
「またね。次は未来で会おう」未来人は別れの言葉を告げる。
「おいおい。僕は君の時代には死んでるぜ」
「会えるよ。アカシックレコードに書いてあったもの。何度目の生まれ変わりかは知らないけど」
未来人を包んでいた光の渦がはじけた。すると未来人の姿は消えていて、何事もなかったかのように居酒屋の風景が戻っていて、さっきまでのはすべて夢だったのではないかと思えてきて……。
けれど未来人の立っていたところに赤い何かが落ちていた。未来人がアカシックレコードと呼んでいたUSBメモリのキャップだ。震える手でカバンから自分のUSBメモリをとりだし、合わせてみると、それらはぴったりはまった。
僕はなんだかおかしくなって溜め息が出た。
「あいつめ。居酒屋の代金払わず帰りやがって」
居酒屋の閉店後、雪の降る道を僕は一人歩いて帰っていった。
2、3行で終わる小説集
一つ目。
「釣りはいらないよ」気前よくぽんと万札を渡すと、自殺ほう助屋さんは薄く笑いながら「良いのですか? 地獄の沙汰も銭次第ですよ」と言った。「現世ですら上手く生きれないのに、金があったくらいで地獄でどうにかなるとは思えません」と僕は返した。
二つ目。
父の危篤に泡食って放り投げたまま行方が分からなくなっていたスマートフォンはその年のお盆に帰ってきた。父は奇跡的に一命を取り留めていた。
三つ目。
シャープペンシルを分解するのが癖になってるんだ。中学のときに授業がつまらなくなってから。それから今日で40年が経つ。自然と磨かれた俺の業は、シャープペンシルをたちまちに素粒子レベルに分解する。
研究所に素粒子発生装置として雇われることになった。
四つ目。
「すみません。今日カノジョの誕生日なんて早退しますね」と、カレシとカノジョを言い間違えてレズなのがばれた。
文フリ
先日5月5日に文フリ参加してきました。
それで『小学生のころクラスの女性に「塊魂やりこんでそうだね」と言われたが私は塊魂をしたことがなかった。』というコピー本を友人のブースで売ってました。
10冊つくって内ひとつを自分用、ふたつを友人にあげ、のこり7冊を一冊100円で販売したところ4冊ほど売れたらしいです。
お買い上げありがとうございます。
このコピー本、本来は作る予定はなかったんですが、久々に会った友人が文フリに出ると言うのが羨ましく思えて急きょ友人のパソコンを借りて制作しました。製作開始は5月5日午前1時。
完成は朝の5時くらいだったと思います。
誤字脱字が多く、冊子の題名も本編に無関係なものでしたが、自分としては満足しています。
続刊をつくるかは全くの未定ですが、気が向いたら作るかもしれません。
小学生の時クラスの女性に「塊魂やりこんでそうだね」と言われたが私は塊魂をしたことがなかった。
みなさんはいつ物心がつきましたか?
3歳とか4歳ですか。
私の場合、15歳の時に物心つきました。中三の冬です。深夜BSで放送していたアニメをボーっと見ていたところ、突然自分がこの世界に存在していて、自分の体と心に対して主体性を持っているのだと気付きました。そして自分の状況を茫然と振り返り、私がいかに自らの心身に対して無自覚で、自分をとりまく世界について知ることに無頓着だったかが分かりました。「やばい、このままだと私将来ニートになるんじゃないのか」。本能的にそう思いました。その後私は生まれて初めて感じた焦りの気持ちに後押しされ、大学受験を志して高校三年間を受験勉強に捧げたのですがそれは別のお話。
こんな調子でしたから私は15歳より昔の記憶が曖昧です。思いだそうとしても不真面目に聞いた授業の内容並みに覚えていなくて、子供のころ連れて行ってもらった行楽地や小学校や中学校で同じ部活だった人たちの名前も言えません。
ですが薄暗い記憶の中にもかすかに光る灯火があります。両手で数えられるほど数少なくて曖昧な思い出ですが、私にとっては中学生以前の自分が確かに存在していたことを保証するものです。
例を挙げれば、
「昼寝から覚めるとタオルケットがかけられていて母親が洗濯物を畳んでいた」
「幼稚園の身体検査が男女一緒に行われ、みんなパンツ一丁になったのですが、女の子の一人が胸元を終始隠して頑として見せようとしなかった」
「家の近くで大量にカエルを捕まえ、一晩虫かごに入れておいたら、翌朝暑さで全滅していた」
「小学生の時クラスの女性から『塊魂やりこんでそうだね』と言われたが、私は塊魂をやったことがなかった」
と言った記憶です。
こうした記憶は小説を書いていると時々思い出すことがあります。きっと無意識化に刻まれていたのがデジャヴを感じてひょっこり顔を出すのでしょう。
私はもっと過去を思い出したい。中には辛い記憶もありますが、というか辛い記憶の方が多いですが、辛い記憶よりも忘れた過去が持つ不確かさの方が恐ろしい。その手の恐怖は心の暗いところをゆっくりと締めつけていく万力のようなものです。今まで歩んできた道が分からなければ現在を誇ることもできないではないですか。
だから書きます。
私はたまに小説を書きます。誇りと、自信のために。