私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

また小説書いた

 おじさんはいつも独りだった。歳は50に近いのに妻子はおらず、両親(私にとっての祖父母)と同居しているのにいつも自室に引きこもって会話をしようとしない。だから私がおじさんに受験勉強を見てもらうことになった時、感謝すべきは私ではなくおじさんの方ではないかと思った。私がおじさんにとって唯一の話し相手になるからだ。

 おじさんの教え方は正直言って下手だった。良い大学を出ていても教えるのが上手とは限らないんだねと言うと、おじさんは苦笑いした。けれどおじさんが勉強の合間にしてくれる他愛のないお話が心地よい。自然とおじさんの下で勉強をする時間が増えて、結果的に私の学業成績は上がっていた。

 大学にも無事に合格できた。

 私の合格が決まった後、おじさんは病院に入院した。生まれつき病弱なおじさんが入院をするのはいつものことであったから、最初は気に留めていなかった。父からは「教えてもらったお礼に、おじさんのところへ毎日お見舞いに行きなさい」と言われたけれど、一日二日行ったきり足が遠のいてしまった。勉強から解放されて浮かれていた私は遊びに夢中でそれどころじゃなかったのだ。そもそもお礼と言ってもおじさんの教えは役立たずで、良い大学に合格できたのは自助努力によるものだ。むしろ独りぼっちのおじさんの話し相手になってあげたこちらがお礼を言われたい。まあ、私もまったく恩義を感じていないわけではない。このまま順調に大学に進んで卒業して良い仕事につけたら、その時に稼いだお金で美味いものでも食わせてやるくらいはしても良い。そんなことを考えていた。

 後日「お前、おじさんのところ行ってないだろう」と父に叱られる。「おじさん、もう長くないんだぞ」

 翌日からまたおじさんの下へ通う日々が始まった。今度は足が遠のくことはなかった。こんなかたちでお礼をすることになるのは不本意であったけれど。

 病室のベッドに横たわるおじさんは枕もとに本を並べてぱらぱらとめくっているのが常であった。どれも一度読んだことがある本だそうで、もう今から新しい本を読み始めることはできないと言っていた。私は毎日おじさんの姿をじっと見て、日に日に痩せていく頬に死の近づきを感じ取った。人間が潰えていく様がこれだと、分かっていないのに分かっているかのようなふりを心の中でした。

 三月の晴れたある日。その日は高校の登校日で学校に行かなければいけなかったが、父に休むようにと言われた。母の運転する車で朝早くから病院に向かった。病室には、昨晩から泊まり込みでいる祖父母とベッドの上でうめくおじさんがいた。看護師さんが「ご家族がいらっしゃいましたよ」とおじさんに言った(私たちのことをおじさんの家族と言うのは何か違う気がしたけれど、きっと他にないのだ)が、おじさんは私たちに目もくれず、「いたい、いやだ、いたい」とうめき続けるだけだった。痛いのなら、何か、痛み止めの薬のようなものを処置するべきじゃないのかと思ったけれど、もうそういう薬を使ったらそのまま眠ってしまって、二度と目覚めないのだと看護師さんが言った。おじさんも薬を使うのは嫌がっていたそうだ。だからこのまま、もう見ているしかない。

 二時間くらい、おじさんがうめいているのを見ていると、おじさんのうわ言が「いたい、いやだ」から「ごめんなさい」に変わった。「ごめんなさい、父さん、母さん、俺こんなんで」が最初のごめんなさいで、祖父母は涙ながらにおじさんに声をかけたけれど、おじさんは無視してさらにごめんなさいを重ねた。「五十嵐くん、あのとき味方をしてやれなくてごめん、俺いくじなかったんだ。西方くん、こっちが誘ったのに寝過ごして約束破ってごめん。藤くん、失言したのはこっちなのに謝らないで疎遠になってごめんなさい。北山くん、無職なのに会社勤めの俺が何度も遊びに誘って、気まずい思いをさせてしまいごめんなさい。有田くん、俺が勧めた本をつまらないと言った程度で罵倒してごめんなさい。山縣さん、俺が食事に誘ったのに話が盛り上がらなくてつまらない思いさせてごめん。佐潟くんは何度も俺を遊びに誘ってくれたのにこちらから一度も誘ったことなくて、結局疎遠になって、ごめん……」こういう調子で、ごめんなさいと知らない名前とごめんなさいが続いた。「走馬灯を見ているんだな」と祖父が言った。

 ごめんなさいが尽きるとおじさんは、「こんな人生に意味がなかった。ようやく終わる」と言って黙った。もう口を開くことはなかった。何もないところをぼうっと見つめたまま、更に二時間経ったあとにようやく息を引き取った。

 大学の入学式のために買ったスーツは、先に葬式の場で着ることになった。受付の手伝いに立って、弔問に来た人の対応をしていると、記帳してもらった名前に、おじさんがごめんなさいと一緒に呟いた名前をたくさん見かけた。その他にもたくさんの私の知らない人間がおじさんの葬式には訪れていた。独りぼっちだと思っていたおじさんは、私の知らないところでたくさんの知人をつくっていた。

 口に出しては言えないけれど、いまさら何しに来たんだと思う。私は憤っていた。こんなにいっぱいの人がおじさんの交友関係にいたのに、なんで今までおじさんを独りにしていたんだ。なんで誰かとりかえしのつかなくなる前に、おじさんともっと関わりをもって、おじさんの人生に意味を与えなかったんだ。いや本当はおじさんの方が彼ら彼女らに働きかけて自らの人生を彩るべきだったんだ。最後に意味がなかったなんて言うくらいなら、こんなにいる友人たちの一人にでも声をかけて有意義に過ごせるよう努めるべきだったのではないか。いや、そうじゃない。そうじゃない。私が憤っているのはそこではない。心の中でくらい正直に言おう。私が憤っているのは、おじさんが死ぬ間際に私の名前を言わなかったからだ。たくさんの名前がおじさんの口から出てきたのに、私だけ呼ばれなくて拗ねているんだ。おじさんは独りぼっちだと思っていたけれど、そうじゃなかった。私の知らないところでおじさんはたくさんの人と思い出を作っていて、おじさんは否定したけれどやっぱりおじさんの人生には意味があって、私と過ごした時間はおじさんの人生の中では些末事に過ぎなかった。ましておじさんの生きてた意味に寄与したことなど一つもなかった。

 結局私は何のお礼もできていなかったんだ。