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私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

没にした文章の供養

没文章

 大学の部室棟の一室で俺は師匠が原稿を読み進める様をジッと見つめていた。

 師匠。

 そう。この方こそ我が眼前の闇を切り開き俺を未知なる場所へと導く先導者。誰もが持たぬ才覚を多く持つ傑物である。師匠とともに本屋に行けば俺の知らない珠玉の小説をいくらでも選んで勧めてくれる。俺が夕飯の献立に迷えば思いのよらない料理を御馳走してくれる。小説の執筆に煮詰まっていれば、適切なアドバイスをくれる。

 大学の文芸サークルでの活動を通して師匠と知り合った俺は、数日でこの方の才能を見抜き、弟子入りを申し込んだ。最初は渋られたものの、平身低頭で連日頼みつづけた結果、師匠が折れる形で弟子入りを果たした。今では週に一度か二度のペースで俺が執筆した小説を添削してくださる。師匠も大学生であるから学業に多忙であろうに、わざわざ時間を設けて相手をしてくれるから、この方には一生頭が上がりそうにない。

 夜の文芸サークルの部室は閑散としていて、いるのは俺と師匠の二人だけだ。週末ならもう少し人は残っているが、平日ともなるとそうそう部室に残っている人はいない。師匠に教えを乞うには都合の良い時間だった。

「目を伏せてくれませんか。そう見つめられると集中して読めませんよ」

 俺の視線に気づいた師匠は原稿をめくる手を止め、たしなめるようにそう言った。

「しかし師匠、拙作を目の前で読まれては気になってしょうがないのです。もう夜は遅いことですし、家に持ち帰って、後ほど感想を頂くのではいけないのでしょうか」

「駄目ですよ。『しかし』や『でも』のような言葉を使っては。私の弟子になった以上、君に与えられた選択肢は私の言うことには二つ返事で従うか、弟子を辞めてもらうかの二択のみです」

師匠は悪戯っぽく笑った。そして俺の書いた小説の原稿を机に置く。読み終わったようだった。果たして師匠の目には俺の小説はどう映ったのか。好評か酷評か。不安と期待が入りじまって心臓の鼓動が早くなる。師匠が口を開いた。

「私事で申し訳ないのですが、実は今日、女の子に愛の告白をされました」

 飛び出た言葉が小説の感想でなく、椅子からずり落ちそうになった。

「師匠が女の子に恋をされるなんて想像がつきません。一体どんな女の子が告白してきたというのですか」

「その言い草は相手が私じゃなかったら失礼ですよ、君。まあ私自身も信じられなくて頬をつねったくらいです。でも夢じゃありませんでした。これがとても可愛い女の子だったんですよ。小さくて、可愛い黄色のシャツを着て、上品なスカートをはいていました。髪は黒くて肩まであって美しい。何より笑った顔がとても気持ち良い女の子なんです。透き通るような白い肌に赤い和傘を差して涼しそうにしていました。私としたことが彼女の魅力にくらっと来まして、その場で食事に誘ったのです。そうしたら意外に仰山食べること。一つ一つの所作が丁寧で汚さのない食事の仕方だったのに、目の前の山盛りの料理がみるみるなくなっていきました。ここまで綺麗で旺盛な食事の取り方は一種の芸術とも言えるでしょうね」

 師匠の褒めちぎりに少々うんざりしていた。それに、師として慕う人が他の誰かを褒める様を見て、何がうれしかろうか。俺は口を挟んだ。

「いったいどうしてそんな子が師匠に惚れたというのですか」

「昔、私に助けられたことがあって、それをきっかけに惚れられてしまったそうです」

「ああ。昔からの知り合いなんですね」

「いいえ、初対面です」

「あれ、でも昔助けたんでしょう?」

「私にはその記憶がないんですよ」

 師匠は一旦言葉を切り、勿体を付けるようにゆっくり口を開いた。

「彼女が言うには私たちは前世において聖戦を共に闘い抜いた戦友だったらしいのです」

 突拍子のない話が出てきて、話が怪しい方向に転がり始めたのを感じた。前世、前世ってなんですか、師匠。まさか信じている訳ではないですよね。

「まあ彼女の語る話の続きを聴きなさい。私と彼女は王国が誇る兵団が一員でした。当時敵対関係にあった隣国では独裁政治を行っており、我らが王国の正義に反するものでした。圧制を布く敵国から民を開放せんと私と彼女は多数の兵に混じり越境した。敵国の王を打ち倒し、革命を起こすためです。しかしその作戦は遂行されなかった。作戦を邪魔したのは、なんと私たちが哀れみ解放せんとした敵国の民衆たちだったのです。彼らの言い分は、たとえ王が暴虐の限りを尽くしていようと、それはその国の国民たちが立ち向かうべき問題であり、他国が解決に当たるのは筋違いだということでした。かくして我らが兵団は敵国の真っただ中で取り残され、敵兵に追い詰められたのです。私が彼女を救ったのはその時でした。私が囮になって、敵を引きつけることで、私は彼女を逃すことに成功したのです。その時の恩を彼女は魂にしかと刻み、死後も忘れずにいたから、生まれ変わった後も縁がつながり、二人は再会できたのだ。そう彼女は言っておりました」

 なんてたくましい妄想だろう。彼女は師匠の恋人ではなくて小説家を目指すべきではないか。

「絶対つくり話ですよ、それ。あるいは師匠をからかっているんですよ」

「しかし、どうやら彼女は本気で前世を信じているようだ」

「余計に駄目ですよ。今すぐ連絡を断って、逃げ出すべきです」

「もうOKの返事をしました」

「何をやっているんですか!」

つい感情的になって声を大きくしてしまう。師匠は一瞬ビクリとしたが、意に介さないといった調子で酔漢のような白々しい笑い声を上げた。 ああ、本当にこの人は。こんな人を師匠に持って良かったのか、考え直したくなる。

「まあそんなにかっかしなくて良いじゃありませんか。今の話は全部嘘なんですから」

 目が点になる。

嘘? じゃあ師匠に惚れた可愛い女の子も、前世からの因縁も、作り話なのか。

茫然と師匠の顔を見れば、してやったりといった顔だ。人をうまく騙すと人はこんな顔を浮かべるのか。さすがは師匠。表情ひとつで俺にまた何かを教えてくれる。そう考えて無理に師匠を肯定しようとする自分はまだ混乱しているんだなと思った。

「君は気持ち良いほど騙されてくれますね。その素直さは人が容易に持ちえない宝です」

「師匠こそ人が悪い。分かるでしょう、師匠の言葉に盲従する俺は騙されるしかない」

「盲従しておいて悪いですって。おかしなことを言いますね。そもそも私が女の子に告白されるなんてことがある訳がないでしょう。そこで気付きましょうよ」

「確かにそうですけれど……でもどうしていきなりそんな嘘をついたのですか」

「もちろん、君の小説のためですよ」

 師匠は原稿用紙をとって手の甲で叩く。

「君、人を騙したこと、ないでしょう」

 俺はぎくりとした。

 

 師匠からの講釈がひと段落したので、この日はお開きとなった。

「たまにあなたを師匠にして本当に良かったのか考え直すことがあるんですけどね、きっと100回考え直したって弟子は辞めないと思いますよ、俺は」

「100回なんてすぐですよ。三日に一回考え直したら一年もかかりません」

 師匠はそっけなく言った。

「今日は寒いし、ラーメンでも食べて帰ります」

「師匠の防寒対策はいつもばっちりですね。俺もご一緒しますよ」

「別に無理してついてこなくて良い。ほら、君は明日も授業でしょう。夜更かしはいけませんよ」

 師匠は赤い手袋をはめて、その長い髪ごとマフラーを巻いた。

「何を言ってるんですか。こんな草木も眠る深夜に師匠を、ましてや後輩の女の子を一人で帰す訳にはいきません」

 師匠は少し考えてから、仕方なさそうに笑って

「じゃあ、お願いしますね。先輩」

 と言った。

 部室の明かりを消して寒い廊下に出た。