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【劇場版まどかマギカ】ラストシーンの意味とほむらの本心

 まどかマギカ劇場版を2回目見てきたんですよ。一回目見てきた時にちょっともやもやしてて見直したかったんです。

 一回目見た時は私よく分かってなくて「いやあ何ほむらちゃん悪堕ちしちゃってんの(笑)」と思ってたんです。はい。

 

一回目の自分を今すぐ殴りてえ!!!

 

 違ったんですよ。全然違う。ほむらさんの本心は。もうさん付けで呼ばせてください。おい、ほむらさんがクソレズ女と言ったか? みんな制作陣側に騙されてる!

 みなさん劇場版をご覧になって、エンディングの後の最後のシーン、意味分からなくなかったですか?

 あの、崖の上で椅子に座ってるほむらさんの元にボロ雑巾になったキュウべぇが現れ、ほむらさんは崖の下に落ちる終わり方。

 私は意味わかんなかったんですよ、一回目見た時は。エンディング後にわざわざ時間とってまでなんでこんな無意味なシーンを入れたんだろうと。けれど二回も見たら流石に分かる。あのシーンはほむらさんの真理描写をしていたんだ。

 

ほむらちゃんが悪魔になるまで

 最後のシーンの謎を解き明かす前に、ほむらちゃんが悪魔になるまでの流れをまとめましょう。

 すべてはまどかとほむらの会話からです。マミさんと銃撃戦を繰り広げ血まみれになったほむらちゃんをまどかが見つけてからの会話シーンです。

 そのシーンでのまどかのセリフは

「ひとりぼっちになっちゃ駄目だよ、ほむらちゃん」

「私がみんなを置いて一人で遠いところに行っちゃうなんてありえないよ。(中略)そんなの耐えられないよ」

 それに対しほむらは

「私はあの時どんなことをしてでもまどかを止めるべきだったんだ」

「まどかのためならどんな醜い姿になっても良い。どんな苦しみを受けることになったって良い」

 と言いました。ちょっとセリフうる覚えですけれど、こんな感じでしたね。二人のすれ違いが伺えますね。

 でもほむらはこの時あくまでまどかのために尽くすスタンスでいた訳だ。それがどうしてほむらは悪魔になってしまった? 

 いや実は悪魔になったこともまどかのためを思っての行いだったんじゃないか?

 

 円環の理に導かれようとした時にほむらはこう思ったでしょう。

「私が導かれたら誰がまどかを守る?」

 キュウべぇの今回のたくらみは魔法少女のソウルジェムを隔離することで円環の理をおびき出し、制御下に置くことでした。だったら隔離するソウルジェムは別にほむらさんのじゃなくていいですよね。

 ならばほむらさんが円環の理に導かれた後、キュウべぇたちは再び別の魔法少女のソウルジェムを隔離させて今度こそまどかを制御下に置いてしまうことでしょう。

悪魔化がもたらしたもの

 さて、ほむらが悪魔になってどうなったでしょう。

  • まどかは円環の理から切り離されて、魔法少女でもなくなり、普通の人間としての人生を歩めるようになった。
  • ほむらは悪魔の力でキュウべぇたちを制御下に置き、円環の理が危機に陥ることはなくなった。絶望の連鎖は断ち切られたままに済んだ。
  • かつて魔女になった魔法少女は生き返ることができた。

 良いことずくめじゃないですか。ほむらさん良い仕事し過ぎですよ。

 ここまで思惑通りにことが進むとほむらさんはさぞかしご満悦でしょうね。

そんな訳あるか!!

ほむらの本心とラストシーンの意味

 ここでラストシーンの意味を明かし、ほむらさんの本心を探りましょう。

 エンディングが終わった後に崖の上で一人椅子に座っているほむらさん。彼女のところへボロ雑巾状態のキュウべぇがやってきて、ほむらさんは綺麗な弧を描いて崖に落ちていくんでしたね。

 実は作中、このシーンと同じ構図の場面が一つだけあったんです。

 それはどこか?

 

 ほむらが魔女になった時の心象風景です。覚えていますか?

 前作劇場版のオープニングで草原の上にふたつ椅子を並べてまどかとほむらが頬を擦り合わせた場所で、

 まどかが椅子から傾き落ちてぐしゃっと潰れる。

 そんなシーンがほむらが魔女化した時にありました。

 その時のまどかの椅子からの落ち方が、ラストシーンでのほむらの崖からの落ち方と一緒なのです!

 このまどかの「落ちる」という動作は当然、「重い役目を引き受け、誰からも遠いところへ行ってしまう」ことの比喩でしょう。

 そしてほむらも「重い役目(=キュウべぇに睨みをきかせ、まどかが円環の理の力を取り戻さないようにし、魔法少女の絶望をためないように気をつける)を引き受け誰からも遠いところへ『落ちて』しまった」

 二人の落ち方は一緒であるが、しかし違うところもある。まどかが椅子から落ちた時はほむらが追いすがった。たった一人だけどほむらはまどかのことを覚えていたのです。

 けれどほむらのことは誰も覚えていない。みんなほむらのことを忘れてしまった。まどかすらほむらのことを忘れてしまった。

 覚えているのは感情のない生物であるキュウべぇだけ。誰もほむらが崖から落ちるのを追いすがってはくれない。

 ほむらは本当に独りになってしまった。

 とんだ憎まれ役を買ったもんだよ、ほむらさん。

 ラストシーンで椅子に座っていたほむらは、物音にハッと振り返りますが、それがキュウべぇだと知ると寂しそうにがっかりした顔をする。一人寂しく相手のいないダンスを踊る。ほむらは一体誰が来たと思ったんでしょうね。

結論

 今回の劇場版で、ほむらはさやかやマミや杏子ら魔法少女から忘れられ、愛するまどかからも忘れられてしまいました。その上視聴者からは悪に染まったと見離された評価も受けてしまう。

 つまり劇場版まどマギは劇中の登場人物からだけでなくファンすら巻き込んでほむらちゃんを孤立させるための壮大なほむらちゃんいじめ映画だったんだよ!!

な、なんだっt(ry

 でも当然視聴者の中にはこうやってほむらさんの孤独に気付いてやれる人も出てくる訳です。

 だからそこまでが制作者の狙い通りなんでしょうね。

 ファン「ほむらちゃんかわいそ過ぎる! 続編つくってハッピーエンドにしてくれ!」

制作陣「良かろう。だから続編もちゃんと身に来いよ」

 すべては制作陣の掌の上だったのだ……。

 

 以上、今回の劇場版魔法少女まどかマギカ叛逆の物語は

「ひとりになったらだめだよ。ほむらちゃん」

 な映画だったということです。

おわり。

 

追記。この考察を踏まえるほむらさんの行動はだいぶ独善的に取れますが、それは繰り返し時間逆行を行う上で人に話を聴いてもらうことへの諦めがそだったためでしょうね。