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私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

クイジルカラ

小説 あまり真面目な話ではない

 俺がクジラだとしたら先輩はイルカですよ。

それが陸上部の後輩の遠藤が僕を褒めるのによく使う言葉だった。イルカがジャンプをすれば全身が水中を飛びだし高く天へ登っていく。なのにクジラときたら尾びれが水面を出ることすらままならないのだ。

「クジラとイルカって生物学的には大きさしか違いがないそうだよ」

と僕はあえて的外れな言葉を返すようにしていた。この褒め言葉を素直に受け取るのは藪蛇だと思ったからだ。

 足のサイズから算出したスタート位置について僕は高跳びのバーを見据えた。少し後ろで遠藤が待機している。靴の裏を地面になすりつけている。

 僕はバーに向かって走りだした。学校の図書室にあった教本の教える通りに走った。跳んだ。跳べた。マットに包まれた。これだけの行為が僕の放課後に必要なすべてであって、世界を閉じる鍵なのだ。

 跳び終わってマットから降りると遠藤が助走をする体勢に移っていた。バーの高さを下げてやろうと僕は手を伸ばしかけたが、遠藤が手ぶりで追い払うようにしたので僕はバーから離れた。

遠藤が走り出し、バーの手前で踏み切ってジャンプすると、例のクジラの尾ひれが水面から出切れずにバーをひっかけて落とした。

「この足が。この足が邪魔だ。この足がいつも引っ掛かるのが悪いんだ」遠藤は自分の足を叩く。

やっぱりバーの高さを下げようと僕が提案すると遠藤はムスッとした顔で「じゃあもっと下げて女子に交代しましょう」と言う。仕方ないのでそのまま女子部員が練習で跳ぶ高さまでバーを下げた。順番待ちしていた女子部員たちは「もういいの?」と高跳びのエリアにおずおずと入ってきた。僕と遠藤は荷物置き場へ休憩を取りに戻っていく。

 途中、サッカー部の活動エリアからボールが転がって来ていたから、すぐに蹴り返した。サッカー部員たちはプレイに熱中していて戻ってきたボールに気付かないでいた。

 荷物置き場に戻ると、他の部員たちは走りに出てるので僕と遠藤の二人きりだ。

「毒殺された透明人間の話って知ってるかい?」

 沈黙に耐えきれず僕が無駄話を始めると遠藤は興味がなさそうにしぶしぶ顔をこちらに向けた。

「僕は知ってる。彼は実に綺麗な透明だったよ。ガラスや水みたいに屈折もしないし夜でも光を反射しない。完全な透明さ。だから透明人間は透明になれたことが嬉しくてさ、いろんなやんちゃをするんだ。盗みを働き、女子更衣室を覗き、学校の窓を割って回った。それだけの悪さを働いて、彼は捕まらなかった。透明だからさ、見つけようがないんだ。誰も彼を捕まえられないとそう思ってた」

 前に遠藤はサッカー部と揉めたことがあった。

 サッカー部の方から転がってきたボールで遊んでいた遠藤の背中を蹴り付けたのだ。

「だけど透明人間は見付かったんだ。人に、じゃないよ。蛇に見付かった。盲点だったことにね、世の中には目に頼りっきりの人ばかりじゃなかったんだよ。蛇みたいに温度センサーで世界を見られてしまうと透明人間の居場所はばればれでね。それで彼は蛇にかまれて、毒が回って死んだんだ」

 本当にあれは傑作だった。遠藤の背中を蹴ったサッカー部員の罵倒の言葉がだ。「ああ、お前高跳びの選手なの? あんまり低く跳んでるから走り幅跳びかと思った」というのだ。おかしい。でもこの言葉が遠藤の、中学生に相応しい分不相応な自尊心を揺さぶったのだ。残念なことに彼らの対立は即座に泥沼な殴り合いに発展した。

「ちょっくらトイレ行ってくるね」そう遠藤に告げて、僕は校舎の中へ向かった。

 学生用玄関で下駄箱から内履きを取り出すのも面倒で、運動シューズを履いたまま校舎内に入った。放課後の学校はちょっと薄暗くて人気が少なかった。

 階段を上って行くと一度だけ先生とすれ違ったので、軽く会釈した。土まみれの運動シューズのまま学校に上がり込んでるのがばれないか内心緊張したのだけど、先生は気付かずに行ってしまったので胸をなでおろした。

 階段の一番上まで上り詰めると屋上へ出る扉があって、当然鍵がかかっていた。力を込めて扉を蹴り破ると開放的な空間が広がった。

 屋上に出ると空はオレンジ色をして、コンクリの床を照らしていた。屋上の端はフェンスで囲まれていて僕の胸の高さまであった。さっき跳んだ高さだ。フェンスの向こう側、少し先を見ると色んな部活が運動しているのを見下ろせた。陸上部の活動エリアを見ると、女子部員はまだ高跳びをし続けているようだった。

 僕は地面を見下ろしながらフェンスに沿って歩き、学校の周囲で一番人の気配がない場所を探した。するといくつかの場所が条件に当てはまったので、さてどれにするかと思案したが、思い直して最初に見つけたポイントにすることに決めた。

 感覚を頼りにフェンスから距離を取った。

 図書室にあった教本の通りに僕は走り出し、フェンスの手前で跳躍をした。

 僕の世界が閉じられる。

 浮きあがった上半身はフェンスを越えると、すぐに下へ引っ張られた。

 だけど尾びれがフェンスに引っかかった。

 フェンスで背中を打った僕は痛みが走るのを感じて、フェンスに足を引っ掛けたまま逆さでぶら下がっていた。オレンジの空を鳥の群が飛んでいくのをしばらく見ていた。

 

 僕がコンビニからグラウンドへ戻ってきた頃には、女子部員は高跳びをやめて荷物置き場で休憩をしていた。

「その手に持ってる袋は何?」

 と彼女に聞かれるままに、手に持ったコンビニ袋からアイスを取り出して女子に渡してやると、大いに喜ばれた。

「サボりのペナルティを与える前にパシリに行ってくれるなんて気が利いてる」

「遠藤はどこに行ったんだ? アイツの分のアイスも買ったんだが」

「見てないよ? 一緒にサボってたんじゃないの?」

 遠藤はそのままグラウンドに戻ってこなかった。遠藤の分のアイスは溶けそうだったから女子部員が食べた。「きっと何か急な事情があって帰ったんだよ」と女子部員は言う。

直に部活も終わりの時間となる。高跳び用のマットを倉庫に片付けて、クールダウンにちょっとだけグラウンドを走っていると、僕は周囲が騒がしいのに気付いた。

「おい、やべえぞ。見に来いよ!」

 サッカー部員の一人が大声叫んで、誰かを呼んでいる。いや、誰でも良いからとにかくたくさんの人を呼んでいる。興味を惹かれた運動部員たちが、手招きされた方へがやがやと走っていく。

 僕も便乗して、彼らに付いて行くことにする。校舎の裏側に来ると、人だかりができていて、嫌な予感がした。

 その場所は、さっき僕があたりを付けた人気のないポイントだった。

 体育着姿の運動部員ばかりで構成された野次馬の壁をかき分けて中心部を一目見ようと背伸びする。

 そこには血に染まった地面の上に、この学校の体育着を着た、死体があった。

 死体は頭が潰れていて、誰なのか分からなかった。

 僕は怖気がして、慌ててその場から離れると、何度も何度も自分の足を叩いては、自分にちゃんと足が付いていることを確認した。