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私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

黒髪ドール前半

 病室のテレビが料理番組を映し出す時、僕はシャドーボクサーになる。観客は一人の髪が長い幽霊だ。テレビの画面に向かってありったけの憎しみをぶつけるように点滴針の刺さったやせ細った腕を伸ばす。もちろん病院の備品を壊す訳にはいかないから寸止めしているけれど、テレビに向かって拳をふるっている間、僕は一切の空腹と退屈を忘れることができた。

 僕が病気で入院するはめになったのは誰のせいでもない。遺伝子が原因だから僕が体調管理を怠った訳でもないし、この遺伝子が病気を発現させるのは何代かに一人の割合だから両親が計画性なく産んだのが原因という訳でもない。もちろんあのいけ好かない医者の先生のせいでもない。

ただ僕の運が悪かったのだ。だから僕はどこにも憎しみをぶつける先がない。貴重な夏休みを毎年入院生活で潰されても、看護師さんに点滴を何度も失敗されても、手術の影響で絶食が2週間続いても、僕はどこにも憎しみをぶつけられないのだ。なんて仕打ちだ。ただ一つだけ、テレビのお料理番組にだけは憎しみをぶつけることができる。「センセイ、キョウハナニヲツクルンデスカ」「ハイ。キョウハトリニクノショウユニヲツクリマス」澄ました笑顔でそんなことを言うエプロン姿のおばさんがとても嫌なんだ。画面の向こうでできていく食べれない料理をめちゃくちゃにしたいんだ。だから僕はテレビ画面に向かって拳を振るう。シャドーボクサーになる。そんな僕を面白そうに髪の長い幽霊が見ている。

ストレスで日に日に頭がどうかなっていくのを感じる。脳がぐおーんと音を立てて歪んでいく。点滴から必要な栄養をとっているのに空腹を感じているんだ。身体はやせ細って皮と骨ばかりになる。知ってるか? 極度にやせ細った皮膚は骨を締め付けてとっても痛いんだ。プロレスラーに左右から肋を掴まれて握りつぶされる感覚が一日中続く。足はふらふらでベッドから起き上がれもしない。頭がボーっとして変な幻覚も見えてきた。

そう。最近幻覚で幽霊が見えるんだ。多分僕は長い入院生活で頭が変になってきてるんだと思う。僕がベッドの上で暇そうに「うー」とか「あー」とか意味のないやる気のない叫びを上げているとどこからともなく半透明な幽霊があらわれる。彼女は女の子で髪が長くて、ご丁寧に入院着を逆合わせに着て、僕にじゃんけんとかしりとりとかを挑んでくる。長く伸びすぎた髪の毛をよく邪魔そうに分けてる。

「殴りたくなるなら見なければいいのに」

 そう言って幽霊はあきれ顔をする。僕はため息をつく。

「こうやって殴ることで、鬱憤が晴れるんだよ」

「歪んでるわ」

 歪まずにいられるかよ。10代で毎年のように入院して、点滴針が二本も刺さってて、何週間も絶食して、立ち上がれば貧血で視界がブラックアウトして、幽霊みたいな幻覚が見えてしまって。こんなの普通から大きく外れている。まともな人生が送れるはずがない。

「それでもあなたは生きているじゃない。私とは違って、いつか退院して、病気も入院せずに済むくらい良くなって。そんな日が来たらあなたも異常ではいられなくなる」

 ヘリコプターが飛ぶ音が聴こえた。この病院の屋上にヘリポートがあって、そこにあるドクターヘリだ。ドクターヘリは県内の何処へでも飛んでいって救急患者を搬送するのだ。

 幽霊は猫が尻尾を立てるように身をすくませてどこかに消えた。

 

 入院中はひたすら暇で、ベッドの上で眠り続けるしかない。夏休みの宿題も終わらせてしまった。本は読む気にならない。本の主人公は僕と同じで普通じゃない展開に巻き込まれているけれど、彼らはちゃんとドラマティックにハッピーエンドを迎えるのだ。それと比べて僕は虚しくなった。

せめて病院内を散歩すれば身体と心の健康に良いのだろうけれど、生憎腕に付けられた点滴は機械制御になっていて、このバッテリーは30分くらいでなくなってしまうのだ。せいぜい一階の売店に行って帰ってくるくらいが限度だ。

 仰向けで天井を見上げていると、いつの間にか天井に幽霊が真顔で張りついていて、笑ってしまった。

「忍者かよ」

「幽霊よ」

「ゴースト忍者かよ」

「あら嫌だ。そのツッコミつまらないねえ」

「うるせえ」

 幽霊は相変わらず長い髪を邪魔くさそうにかき分けて天井からジッとこちらを見つめていた。

「髪の毛、邪魔なら切れば良いのに」

「髪は女の命なのよ」

「幽霊に命なんて必要ないだろう」

「それは違うわ。幽霊が命を持っていくから死体に命が残らないのよ」

 ドクターヘリが飛ぶ音が聞こえる。音に合わせて病室の窓ガラスが震えた。

「ねえ、散歩に行こう」

 幽霊に言われて、僕は身を起す。幻覚の幽霊と一緒に散歩なんて、滑稽を通り越してイカレテいるが、でなくても暇で既にイカレテルんだ。ベッドから足をおろしてサンダルをはく。両足に力を込めて立ちあがろうとした、瞬間、足が崩れてビタンと、音を立てて僕は床に転んだ。

「あはははははは、ドジだなあ!」

 幽霊が大笑いする。

「なにくそ!」

 僕は負けずに立ちあがり、幽霊を睨みつける。彼女は笑いをこらえるのに必死だ。

「ごめんね、笑って。でも、なにくそ、なにくそって何。あはは。あー、ごめんごめん、大丈夫?」

「大丈夫さ。今までの人生に比べたら何でもない。毎年の入院生活、閉塞感たっぷりの将来、それに比べたら一回の転倒なんてテストで40点取った程度の不幸さ」

「ははあ。大変な人生を送ってるねえ」

「ああ。同情してくれて良いぜ」

「私ねえ、生まれた時からずっと病院から出られなくて、ずっと外に出たかったんだけど、15歳の時に結局一度も出られないで死んじゃったんだあ。同情してくれて良いぜ」

「そうかよ」

 僕はそれ以上の言葉もなく、幽霊を見つめる。なんだよ。ずるいじゃないか。死人が死をステータスにして振りかざしたら、敵いっこないじゃないか。

「うん。15歳の若さでね」

「うん」

「美人薄命ってヤツね!」

「自分で言うなよ!」

 ツッコミを入れると幽霊はまた大きな声で笑い出す。腹を抱えて息苦しそうにしてるけれど、幽霊なんだから息吸う必要もないだろうに、なんで苦しいんだ。僕はちょっと苛立ってた。この幽霊は僕がつくりだした幻想のはずだ。ならばもうちょっと僕に優しくしてくれて良いんじゃないか。もっと僕に都合よくなってくれて良いんじゃないのか。

「ほら、いつまでも笑ってないで、行くぞ」

「ああ。待って。いま行くよ」