小クリ「車輪」
就職活動をしないまま大学を卒業した友人が山にこもって自給自足の生活をしているというので、彼に会いに山に向かった。彼の母親から、彼を家に戻るよう説得してくれと泣き付かれたのだ。
友人は突然の訪問を喜んで迎えてくれた。ボロを纏い、髭も髪も伸び放題で、少し痩せたように見えた。その身なりを心配して、「ちゃんと食べているのか?」と彼に聞いた。すると彼は唇を舐めて濡らし、たどたどしく、けれど勢いよく喋り始めた。
「ちゃんと食べてるかって? ああ、食べてるさ。山には食べ物がいっぱいだからな。山菜やキノコは学生時代も食ってたから見分けがつくし、芋虫って意外と美味しいんだぜ? 最近は仕掛けた罠に小動物なんかもかかるようになったし、ああそうだ、お前はタイミングが良い。今日はタヌキがかかったんだ。一緒に食べようぜ」
学生の頃よりも饒舌なしゃべりに、彼は人恋しいのだと知れた。ならば何故こんな生活を送っている。大学の入学式で最初に出会った時の彼は、こんなではなかった。髭はなく、顔つきは精悍としていて、物静かで大人びていた。その彼が何故。何故なのだ。
「タヌキは食わん。お前の母親から食料をあずかっている。今日はこれを食え」
そう言ってカップ麺やら米やらレトルトカレーが入った袋を差し出すと、友人は押し黙って目の色を変えた。物欲しそうな目で、食い入るように食料品を見ていた。しかし堪えるようにギュッと目をつぶると静かに首を振った。
「駄目だ。それを食べたら帰りたくなってしまう」
「帰ればいい。何故こんな生活を送る必要がある。虫や獣を食べ、野に暮らすくらいなら、社会に出て、働いて暮らす方がずっと楽だろう」
「俺は分からない」
「何がだ。何が分からないんだ」
「社会に出る理由が分からない。社会の歯車って言葉があるだろう。なんで歯車なのだ。あんなギザギザの歯を付けて他の歯車と噛みあうなんてさ、おかしいじゃないか。ただの丸い車輪でも前に転がり進んで行けるのに、わざわざ歯車になって噛みあわなくてもいいじゃないか」
それだけ言って、彼は口を閉ざす。
なんだか僕は友人がとても哀れに思えてきて、今日の説得は諦めることにした。彼がつくったタヌキ鍋を食べ、僕は街に帰った。