私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

私の神さま

 宗教臭い話になっちまうんだけど、日本だと八百万の神々とか言って、万物に神様が宿ってるって言いますよね。

 だったら私に宿る神様だっているはずではないか。

 私というアイデンティティを司る神様がいるんじゃないだろうか!

 私自身が神様という訳ではなく、私と言う存在に対して神様がいるのだ。ならば私はその神様にお祈りを捧げねばならぬ。良く努力し、美味い物や酒を食らい、美しい物を見、何か大事なことを考え、何かを為していく。そうやって自らを司る神様の神格を高めていかねばならないのでは。

 そうなると私は私の神様に仕える巫女さんだ。男だけど。私の親兄弟友人他人みんなにも一人一人神様が司っている。みんな巫女さんだ! うわあ。一億総巫女さんじゃないか。すごいことになってきたぞ。満員電車に乗ったら巫女風呂状態じゃないか。

 閑話休題。そんな話がしたかった訳じゃないんだ。

 私は神道とか不勉強で門外漢だから勝手なイメージで語ってしまうんだけど、八百万の神々って物にも心理的な動きを見出した結果なんだと思ってる。お地蔵さんが傘のお礼にやってくる昔話なんか好例でしょう。お地蔵さんという物が傘をかぶせてくれたおじいさんに好感を持ってお礼にやってくる。そんな心理的な動きがある。

 八百万の神々って考え方はそうやって物に心理的な機微を見出すことでさ、すべての物を大切にさせようって狙いがあるんじゃないかなあって勝手に思ってるよ。

 なら人間のような、もとから言うまでもなく心理的な動きがある存在には、神様を見出す必要があるんだろうかね。あるんじゃないでしょうか。自分の気持ち本位で動いて他人の心理の機微を測れない人は特に。

 他人の気持ちを図れない人は自分の気持ちを図るのにいっぱいいっぱいになってるんじゃないか。最近若者の間でよく「俺、コミュ障だから他人とうまく会話できない」って言葉を聞くんだけどさ、コミュ障って言葉は正に自分のことばかり考えた言葉だ。他人の気持ちを考えなければ会話なんて成立しないのに、自分はコミュ障だから駄目だって自分のことばかり考えていたらそりゃあコミュ障になるさね。

 私も結構他人の気持ちは図れないでいる。頑張りたい。

 

 ああ、こんな話がしたかった訳じゃないのに。