私のブログ。

このブログを書いているのは誰かな? せーの、私だー!

大学生でいられるのもあと一日なので小説を書きました。

 座敷わらしは古本屋にいました。

 なぜ古本屋にいたかと言いますと、前に住み着いていたおにぎり屋さんにいずらくなって脇目も振らずに飛び出したところ、気づくと古本屋にいたのです。座敷わらしがおにぎり屋さんを飛び出したのは、店主が欲を隠そうとしなくなり醜悪に思えたからです。座敷わらしの居ついたお店は例外なく商売繁盛となりました。そうして幸せそうに喜ぶ店員の様子を見るのが座敷わらしの幸福の一つでした。けれどもなぜでしょう。人は少し豊かになるとどうしてかさらなる富を求めます。お店が繁盛したあと、店主はみな野心を見せ始めます。札束で他人の頬を叩いてのし上がっていく店主の醜さは筆舌に尽くしがたいものです。それで座敷わらしは嫌になってお店を飛び出してしまうのです。座敷わらしが出て行ったお店はたいてい運気を失ってつぶれてしまいます。おにぎり屋さんは脱税がばれて廃業になりました。

 そんな風に人の栄枯盛衰を何度も見てきた座敷わらしは人間を侮るようになりました。人が幸せを得ていく様子に喜びを感じる一方で、住み着いた人が醜悪さを見せ始めると「やっぱりにんげんってダメなのね」と言って、人間に対して優越感を抱くというゆがんだ二面性を持ったのです。座敷わらしが古本屋を訪れた今回も、古本屋の店主はきっと同じ結末をたどるのだろうなと思いました。

 さて、この古本屋は若い店主の城でした。本の城です。本が好きな店主は積み上げた書籍の塔に囲まれて、閑古鳥が鳴くのも気にせず昼夜読みふけっていました。寂れた古本屋はさっぱり儲かりませんでしたが、店主には学生時代にアルバイトで貯めた貯金がありましたし、本を読んでいれば食事をとるのも忘れてしまうので食費もかかりませんでした。このまま細々と本と一緒に生きていく心づもりだったのです。

 座敷わらしが古本屋にやってきた日、店主は何となく何者かが店にやってきたなと感じとりました。ですが本を読む方が重要だったので放っておくことにしました。お店の中はページをめくる音、座敷わらしがどたどたと走り回る音、時折店主がコーヒーをすする音しかしません。

 座敷わらしは店主の背中に寄ってきました。店主が何をしているのか気になって、背中越しに店主が持っているものを見ました。もちろんそれは本でした。文章を目にした座敷わらしは、得意げにページに書かれている文字を読み上げます。

「じょ、ば、ん、に。ら、つ、こ、の。う、わ、ぎ、が。く、る、よ!」

 店主は舌打ちをしました。ここで初めて本から意識を外して座敷わらしに興味を向けたのです。彼は、

「どうして子供というものは必ず文章を声に出して読むんだ。しかも一文字ずつ区切って言うからたちが悪い。読むペースがくるってしまうじゃないか。おかげでひどく気が散ってしまった」

と思いました。

 店主はちょっと考え、本の山をかき分けて古ぼけたラジカセをひっぱりだしました。ラジカセにセットしっぱなしだったCDを再生するとロックンロールが流れ出します。座敷わらしはロックの曲調に興味を惹かれました。そして音楽に合わせてハミングしたのです。読んでる本の文章を読み上げられるよりはだいぶマシになりました。店主はやれやれどうにかなったぞと再び読書に戻ろうとしました。けれどそこへ珍しくお店のドアが開き、お客さんが入ってきました。店主は本に栞をはさんで閉じ、むっすりしながら営業スマイルをつくりました。

 翌日、古本屋はたくさんのお客さんであふれかえっていました。以前とは一変したお店の繁盛っぷりに店主はてんやわんやです。座敷わらしはラジカセから流れるロックンロールに耳を傾けながらその様子をほくそえんで見ていました。店主はきっとお店の繁盛に喜ぶだろう、そして儲けた金に目がくらみ、例の醜い欲をさらけ出すのだろうと思いました。

 けれど店主はずっと不機嫌な顔をしていました。千客万来に、朝から本を読む暇がないからです。それだけではありません。店主が今度読もうと思っていた本を、客がどんどん買っていくからです。3巻まで読み進めていたシリーズものの小説の最終巻だけ客に買われたときは泣きそうになりました。いや、怒ったのです。店主は悲しみなんかよりも怒り心頭でした。愛する本がどんどんなくなっていく状況に耐えかねた店主はついに接客スマイルをかなぐり捨て、客たちを怒鳴りつけました。

「ここは俺の城だ! お前らに売る本はねえ! 出ていけ! 本を置いて出ていけ!」

 店主の剣幕に気圧されて、客は続々店を去っていきました。けれど時すでに遅く、めぼしい本たちはみな買い去られてます。店主は店内の惨状にがっくりと膝をつきました。

 今までに見たことのない展開に、座敷わらしも呆然としていました。まさか自分の住み着いた店の店主が幸せになることなく不幸になるなんて思わなかったのです。座敷わらしは根はまじめでしたから、一度幸せを味わってから地獄に落ちるならまだしも、良い思いを一切することなく店主を不幸にしてしまったことに責任を感じました。申し訳なさと店主の惨めさにいたたまれなくなった座敷わらしは、古本屋を飛び出しました。

 これは敗走だと座敷わらしは感じました。人間に対する、初めての敗北です。人間に対する優越感が崩れ、座敷わらしの幼いプライドに傷がついたのです。

 座敷わらしがいなくなると古本屋は平穏を取り戻しました。大繁盛が一夜の夢のように消え失せ、店主だけの城が戻ってきます。けれど城壁はボロボロでした。読む本をなくした店主は魂の抜けたように椅子へ座りこみます。本がなければ店主にするべきことはありません。ぼんやりと古いラジカセからロックンロールが流れてくるのに耳を傾けていました。

 他にすることもないので、店主は座敷わらしのことを考えました。そういえば座敷わらしは、文章を読むときに一字ずつ区切って言葉を発していました。けれどもロックンロールにハミングしていたときは、ハミングにそういった区切れはなかったなあ、と不思議に思ったのです。同じ口から音を出す動作には変わりないのに、文章と音楽でどうして違うのでしょう。店主は考え込みます。文章は目で見るものなのに対して音楽は耳で聴くものだからなのか。記憶を探ってみると、子供が文章を一字ずつ区切って読むのは子供の未熟さゆえに熟語を認識する能力が足りていないからだ、という話を何かの本で読んだことがあります。なら音楽のメロディは熟語という形で認識する必要がないってことでしょうか。そもそも音楽ってドレミファソラシの一音ずつに判別して区切るのはたいそう難しいことだ、と店主は気づきました。

 同時に、古本屋の店主は、自分が本に書いてあったこと以外の事柄について深く考えていることに気づきました。店主は少しおかしみを覚えます。彼はたまには本以外のことも良いかもしれないと考え、少し幸せを感じました。

 翌日、古本屋は火事で全焼し、灰になりました。座敷わらしが運気を引き上げていったためです。古本屋の店主は焼け跡に立ち「焚書坑儒なんて時代錯誤だ!」とわけのわからないことをわめきました。

 こうして彼は本と決別した人生を歩みだしました。

 

Fin.